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土曜日, 3月 31, 2007

企業の目的と使命 by ドラッカー

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 企業の目的と使命を定義するとき、出発点はひとつしかない。顧客である。
顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、
顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義される。
顧客を満足させることが、企業の使命であり目的である。
したがって、「我々の事業は何か」との問いは、企業を外部、すなわち顧客と市場
の観点から見て、初めて答えることができる。
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by P.F.ドラッカー 上田惇生編訳 「マネジメント(エッセンシャル版)」ダイヤモンド社

再掲であるが、再度、この言葉をかみしめておきたい。

自らの事業は何か、何であるべきかを定義することは重要であるが、それを定義することはなかなか難しい。
それは、往々にして、自社がどんな「もの」を生産・販売しているかという企業内部の観点から考えてしまうから。
顧客にそれらの「もの」を通してどのようなベネフィットを提供し、いかなる満足をもたらしているかという企業外部の観点、顧客と市場の観点から、事業の定義をおこうなうべき。。。
そして、この定義がきちんと規定されているかどうかが企業の盛衰の分かれ目なのであり、
それゆえ、具体手的な事業活動を行うことに先立って、顧客の観点から見た的確な定義が必要なのである。。。

木曜日, 2月 15, 2007

ドラッカー:上田氏 ポストモダンへの処方箋?! サマリ

ドラッカーのIT経営論・・・上田惇生氏に聞く 「近代合理主義が通じない問題を解く」
については、先日要約文を掲載したが、再び読み直してみて、特に印象に残った部分をここにメモしておきたい。(今回の本欄では、「モダンが終わった」という点について、上田氏にインタビューした内容。)

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デカルトの拠り所が何であったかというと、「我思うゆえに我あり」。
ここから近代合理主義というものが生まれた。
物事を因果関係で説明し、量でもって測るというやり方です。モダンの幕開けですね。
このおかげで、科学、それから技術が進んで350年たった。

でも、世の中が分からないという点は全然変わっていない。わずか350年で、モダンのやり方がそれなりに役に立つということが分かり、実際かなり役に立った。
でも、今、我々が直面している数々の問題は、モダンのやり方では依然として分からないし、解けない。このことが痛切に感じられていると思うのです。

別な言い方をすれば、左脳ではなく右脳で見なければならないということ。
すべてのものを部分に分解して組み立て直せばいいものになる、とモダンの世界で言われ、確かにそういうことがあった。
しかし、それだけではない。

全体は部分の和ではない、全体は全体としていなければならないということです。
つまり、命あるものとして見なければならない。環境問題もエネルギー問題も教育問題も全部そう。
分解しても限界があり、トータルとして見なければ理解できないし、解くこともできない。
我々はこの当たり前のことにようやく最近、気が付いたわけですよ。

350年間やってきた、全体は部分の集まりであるとか、物事は因果関係で分かるとか、重要でないものは捨象し、重要なものだけを抽象化して、その間の関係を見ればいいのだ、というやり方だけではダメだとする。
それではどういうやり方があるのだろうか。そういうことを、ドラッカーは教えてくれている。
結局、それが僕の本の仮説というかテーマなんです。

モダンが終わった時代を生き抜くために、ドラッカーはどういうやり方があると教えてくれたのか。僕は、七つあると思って書きました。
たとえば第一は、「見る」こと。全体を命あるものとして見る。
第二は、「分かったものを使う」。
理屈は分からなくても、すでに分かったことを使ってどんどん進めばよい。

こういう具合に僕は七つまであるんじゃないかなと思って書いたけれども、人によってみんな違うと思います。

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ものの役に立つものとして、ドラッカーが注目したのは、手段としての技術です。
それが最初は技能であった段階には、特定の人にくっついちゃっている技能だったわけですよね。
これでは全然応用が利かない。それが、モダンのおかげで技術になっていったわけだ。

ドラッカーは、科学と技術が結婚して所帯を持った時に主導権を持ったのは技術の方だと言っている。
なぜかというと、モダンのおかげなんですよ。
モダンのおかげでもって「テクノ」という技能に、「ロジ」が付いて、体系化されたテクノロジーになった。
つまり技能の技術化・体系化が行われるようになって、そこへ科学が顔を出して、所帯を持って、その結果、我々はここまで来た。

このあたりのことを考えてみると、ドラッカー自身もモダンの手法を使っているんだということに気が付いたわけです。
典型例が時間管理ですね。ドラッカーの時間管理というのは、時間を細分化して、その中で役に立たないものは捨てて、空いている時間をつくって、それをまとめないさい、とこう言っている。
 それは何かというと、フレデリック・テーラーの「サイエンティフィック・マネジメント」の手法と全く同じなんですよね。
作業・動作を分析して、いらない動作をなくして、合理的に組み立てなおすというのは、まさに全体を部分に分解して、部分を組み立て直すでしょう。

時間の管理なんて、1日の時間は有機的にお互いに関係しているわけですよ。
その有機的な命ある時間といっしょにある1日というものを機械的にぶった切って、これはいる、いらないと判定をして、いらないものを捨てちゃうというのは、まさにモダンの手法そのものです。つまり、ドラッカー自身がモダンの手法を使っている。

プロジェクトマネジメントなどまさに、そういう話なんじゃないかな。
プロジェクトという、本来生き物なので、分解できないんですけど、それをいろいろあの手この手で分解し、進めていく。

だから僕の本で、ポストモダンの作法の第7番目に何をもってきたか。
「モダンを使え」としました。モダンの手法で使えるものは使おうよということです。

ポストモダンのものの考え方として、見るというものをもってきて、分かったことは使う。
「我思うゆえに我あり」とともに、「我見るゆえに我あり」を言わなきゃいけない。
でも、モダンの手法はいるわけですよ。
だから、右脳とともに左脳を使う。
問題は、モダンの手法だけで全部が分かると思っている人が多すぎることです。


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以上の抽出、要約をさらに、詰めてまとめて短くしてみると、以下となりましょうか?!
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すべてのものを部分に分解して組み立て直せばいいものになる、とモダンの世界で言われ、確かにそういうことがあった。しかし、それだけではない。
全体は部分の和ではない、全体は全体としていなければならないということです。
つまり、命あるものとして見なければならない。環境問題もエネルギー問題も教育問題も全部そう。
分解しても限界があり、トータルとして見なければ理解できないし、解くこともできない。
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ドラッカー自身もモダンの手法を使っている。典型例が時間管理。
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ポストモダンの作法の第7番目・・・「モダンを使え」としました。
モダンの手法で使えるものは使おうよということです。
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ポストモダンのものの考え方として、見るというものをもってきて、分かったことは使う。
「我思うゆえに我あり」とともに、「我見るゆえに我あり」を言わなきゃいけない。
でも、モダンの手法はいるわけですよ。だから、右脳とともに左脳を使う。
問題は、モダンの手法だけで全部が分かると思っている人が多すぎることです。
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モダン
 分解、分析、「我思うゆえに我あり」、左脳
 すべてのものを部分に分解して組み立て直せばいいものになる
 物事を因果関係で説明し、量でもって測るというやり方

しかし、モダンは終わった。その理解は、
ポストモダン
 モダンだけではだめ、「我見るゆえに我あり」、右脳、
 全体は部分の和ではない、全体は全体としていなければならない
 トータルとして見なければ理解できない
 モダンが終わった時代を生き抜くためのやり方論・・・
 「見る」こと。全体を命あるものとして見る。「分かったものを使う」。モダンも使う。

モダンの手法だけで全部が分かると思っている人が多すぎることは問題。
処方箋は、手持ちの一般用語を用いてたどたどしくいうのであれば、
・左脳とともに右脳も使おう。
・木を見たら、森も見よう。
・分析と総合を相互に組み合わせよう。
といったことでしょうか。



世の中、難しい課題、わからないことは、本当に多いので、そのうちに、

モダン、ポストモダンはもとより、最新のツールをさらに組み合わせて用いて、世の中の役立つことを解明していく・・・といった流れになるのでしょうか。

未来を明るくできるよう、小さい頭の中で色々考えていきたいものです。

土曜日, 2月 10, 2007

ドラッカー 上田惇生氏に聞く「近代合理主義が通じない問題を解く」サマリー

上田惇生氏に聞く「近代合理主義が通じない問題を解く」

以下Tyees要約版で掲示する

全文、本文などは以下のURL参照
http://itpro.nikkeibp.co.jp/a/biz/shin/shin0124/shin_64_1.shtml
http://itpro.nikkeibp.co.jp/a/biz/index/ind_shin.shtml
「分からないことばかり」とドラッカーは言った
「世の中が分からないという点は全然変わっていない。
モダン(近代と近代合理主義)のやり方がそれなりに役に立つということが分かり、実際かり役に立った。でもドラッカーは1957年に出版した『変貌する産業社会』の序文で、いつの間にかモダンが終わったと書いている。
今、我々が直面している諸問題はモダンのやり方だけでは解けない。
結局、分からないことばかり。このことが痛切に感じられている」

30年以上ドラッカーと付き合い、ドラッカーの著書の大半を邦訳した上田惇生氏にとって一番引っ掛かる言葉とテーマは「モダンが終わった」であるという。

近代合理主義の精華の一つはコンピュータである。しかしコンピュータを適用する企業や人間社会は分からないことだらけであり、時折コンピュータを巡る不条理劇が演じられる。
特に経営者がコンピュータ専門家に一任した時、不条理の度合いは増す。
(聞き手は、谷島宣之=経営とITサイト編集長)

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ドラッカーのIT経営論
上田惇生氏に聞く 「近代合理主義が通じない問題を解く」

 社会生態学者、ピーター・ドラッカー氏のほぼ著作は、同一人物によって邦訳されている。
上田氏は翻訳者にとどまらず、ドラッカー氏の編集者であり、情報収集の助手でもあった。
こうした関係を続けた結果、ドラッカー氏は上田氏について、著書の前書きで上田氏のことを「私の分身」とまで呼んでいる。

その上田氏がドラッカーに関する本を出版した。
題名の通り、ドラッカーに関する入門書として準備された。
巻頭で上田氏は「本書のテーマは、あえていうならば、このモダンの世界観からポストモダンの世界観への重心の移行であり、そこにおけるポストモダンの旗手としてのドラッカーの意義である」と述べる。
モダンとは、デカルトが創始した近代合理主義のことであり、ポストモダンとは近代合理主義を超えるものを指す。

ドラッカーは、1957年に出版した『変貌する産業社会』の序文で、「いつの間にかモダン(近代)が終わった」と書いています。
50年前にこの指摘をたわけです。
ドラッカーの本を何度も訳してきて、僕にとって一番引っ掛かる言葉であり、テーマがそこでした。
そのため、最初はドラッカーの入門書を書くつもりだったけれど、書き上げてみると、ポストモダンの時代をどう生き抜くかという、上田なりのドラッカー論、つまり「私のドラッカー」になってしまいました。
この本を書くことによって、長年、気になっていたことが鮮明になったという感じがします。
何なのかというと、世の中というのは分からないものだらけ、ということです。
序文でドラッカーは、「17世紀の半ば以降350年にわたって、西洋はモダンと呼ばれる時代を生きてきた」と言っています。
分からないものを前にして呆然としていたところへ、原因と結果を推理の力で、あるいは抽象化することによって、かなりのものは分かるはずだ、ということを考えた学者がいたわけですよ。
拠り所が何であったかというと、「我思うゆえに我あり」。
ら近代合理主義というものが生まれた。
350年で、モダンのやり方がそれなりに役に立つということが分かり、実際かなり役に立った。
我々が面している数々の問題は、モダンのやり方では依然として分からないし、解けない。
すべてのものを部分に分解して組み立て直せばいいものになる、とモダンの世界で言われ、確かにそういうことがあった。
部分の和ではない、全体は全体としていなければならないということです。
我々はこの当たり前のことにようやく最近、気が付いたわけですよ。
ボクシングの試合の判定に疑惑があるという話になって、テレビでわあわあやっていたでしょう。
ボクシングにおける判定は、12ラウンドに分けて、それぞれの部分について優劣を勝手に付ける。
試合全体の印象とはかなり違った結果が出てくることがある。
相手をダウンさせても10点満点のうち2点付くだけなんですね。
細分化して評価するという答えは実のところ、ないか。
こういう根本的な疑問がわけです。
部分の和ではないのです。
350年間やってきた、全体は部分の集まりであるとか、物事は因果関係で分かるとか、重要でないものは捨象し、重要なものだけを抽象化して、関係を見ればいいのだ、というやり方だけではダメだとする。
そういうことを、ドラッカーは教えてくれている。それが僕の本の仮説というかテーマなんです。
時代を生き抜くために、ドラッカーはどういうやり方がと教えてくれたのか。
自分自身の中ですら違うんだから。
ドラッカーを読む時は、本に線を引っぱったり、気が付いたことをメモしておくことをお薦めします。
成長記録にもなるんだな。
自分が正しいわけですよ。のだということをドラッカーは言ってくれる。
「私のために書いてくれた!」と、みんな元気が出ちゃう。
これがドラッカーの最大の魅力と言ってもいいでしょう。ドラッカーが凄いところは、決めのフレーズ。
ここが肝心と思うのです。
我々は、我々が見ているものについて呂律が回らないわけ。
我々には言葉がない。
あるかというと、人間なんですよ。
ドラッカーがしばしば言及しているコミュニティーは目的かな。
人間は社会的存在としてコミュニティーは必要とするし、コミュニティー自体に値打ちがある。
コミュニティーにも問題がある。
人間の役に立たない知識というものには意味がないわけ。
極論すれば、ごたごたやっていたソクラテスが何だかんだやっていたような知識はほとんど意味がない。
意味ある知識が急に出てきた。
世の中がらがらと変わってきた。役に立たないことを言う学者たちに対し、ドラッカーはかなり批判的です。
患者がいて、その足を切ったりなんかしているのは、先生ではなく床屋であると。
役に立つものとして、ドラッカーが注目したのは、手段としての技術です。
それが最初は技能であった段階には、特定の人にくっついちゃっている技能だったわけですよね。

 ドラッカーは、科学と技術が結婚して所帯を持った時に主導権を持ったのは技術の方だと言っている。
モダンのおかげでもって「テクノ」という技能に、「ロジ」が付いて、体系化されたテクノロジーになった。
技能の技術化・体系化が行われるようになって、そこへ科学が顔を出して、所帯を持って、その結果、我々はここまで来た。
このあたりのことを考えてみると、ドラッカー自身もモダンの手法を使っているんだという気が付いたわけです。
ドラッカーの時間管理というのは、時間を細分化して、その中で役に立たないものは捨てて、空いている時間をつくって、それをまとめないさい、言っている。
作業・動作を分析して、いらない動作をなくして、合理的に組み立てなおすと全体を部分に分解して、部分を組み立て直すでしょう。

 時間の管理なんて、1日の時間は有機的にお互いに関係しているわけですよ。その有機的な命ある時間といっしょにある1日というものを機械的にぶった切って、これはいる、いらないと判定をして、いらないものを捨てちゃうというのは、まさにモダンの手法そのものです。つまり、ドラッカー自身がモダンの手法を使っている。

 プロジェクトマネジメントなどまさに、そういう話なんじゃないかな。プロジェクトという、本来生き物なので、分解できないんですけど、それをいろいろあの手この手で分解し、進めていく。

 だから僕の本で、ポストモダンの作法の第7番目に何をもってきたか。「モダンを使え」としました。モダンの手法で使えるものは使おうよということです。
ポストモダンのものの考え方として、見るというものをもってきて、分かったことは使う。「我思うゆえに我あり」とともに、「我見るゆえに我あり」を言わなきゃいけない。でも、モダンの手法はいるわけですよ。
だから、右脳とともに左脳を使う。問題は、モダンの手法だけで全部が分かると思っている人が多すぎることです。

 科学あるいは技術に関わっている、いわゆる理科系の人たちに解明してほしいこととして、科学と技術の距離をどう見るか、というテーマがあります。科学と技術が結婚したわけですが、両者は本来遠いところにいる。世界の一番こっちに技術、工学(エンジニアリング)があるとすると、一番遠くに純粋物理があるわけ。その間に他の学問、社会学だとか民俗学だとか宗教学だとか、そういうものがある。科学と技術は本来そのくらい違うんだと思う。

 片方は現場主義なわけですよ。理屈なんて構わない、何でも作っちゃうという人がいる。一方には、天空を眺めてそこから数式を導くというか純粋さを求めていくというのがある。その両者はどういう構造でつながっているのか。実際に技術系の人たちはどっちの頭で仕事をしているのか。非常に不思議に思っています。

ドラッカー インタビュー サマリー

ピータードラッカー氏インタビュー030131 by 日経ビジネス サマリー


質問をしているのは 酒井綱一郎氏 (=日経ビジネス発行人)と 日経ビジネスの酒井耕一 ニューヨーク支局長(現 ・ 日経ビジネス副編集長)のようである 。
日経ビジネスオンラインと I T p r o が 共同で運営しているサイトには、インタビュー内容全文が掲載されているが、インタビュアー達は、掲載の際に、読みやすくするために、一部順序を入れ替え 、質問文を省略するなど多少の編集作業を施したとのこと。しかし、ほぼ当時のインタビューを全面的に再現。

今回は、その全文は、あまりにも長文のため、また、ここに、再掲する意味もないので、ここに、四分の一程度の文章量に適宜サマライズして掲載してみる。

サマライズ責任は、Tyeesということでお願いしたい。 
インタビュー本文全文は、ITpro内に現在も存在していると思うのでそちらを参照されたい。  

以下サマリー

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ピーター・ドラッカー氏が指摘する「ITより重要なもの」

社会生態学者、ピーター・ドラッカー氏が2005年11月11日に亡くなってから早くも1年強が経った。
動きは目まぐるしかったが、変化が激しい時こそ、本質をつくドラッカー氏の言葉に耳を傾けるべきではないだろうか。
ドラッカー氏は、現在起きている事象を読み解く際に、こちらが予想もしていなかった歴史上の逸話を持ち出し、それらを対比して、目からうろことなる指摘をしてくれたものである。
ラストインタビューになってしまった会見記録の全文であるが、昔のインタビューを読み直しても、新鮮なままである。

このインタビューのテーマが 「 情報 革命 」 であり 、経営 と I T を 考える 当 サイト(=ITpro) に 相応しいと考えていたのだが、
情報革命がテーマと事前に伝えていたにもかかわらず 、インタビューの冒頭 、 ドラッカー氏は 「情報は重要ではない」 と切り出された。
ドラッカー氏 は本インタビュー の 中 で 、 「 I T は 重要 で ない 」 「 C I O ( 最 高情 報 責任 者 ) は新しい 仕事 を して いな い 」 など と 述べて いる 。
これ は 同氏 一流 の 表現 な の だが 、 ぜひ その 真意 を 読みとって いただき たい 。
本インタビュー は 2 0 0 3 年 1 月 3 1 日 に 、 米国 カリフォルニア 州 クレアモント に ある ドラッカー 氏 の 自宅 で 行った 。

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お具合はいかがですか?
 ご存知のとおり、私はちょっと体調を崩しており、まだ不安定な状態なのです。悪い日もあります。

あなたが重要と考えている「情報」「インフォメーション・テクノロジー(IT)」について触れましょう。
重大な変化というわけではありません。
質問の中では目立ちませんでしたが、重要なのは、「労働力構造の変化」と「人口」です。
シフトが急激に進み、製造業における従来のブルーカラー職は消えることになるでしょう。先進諸国においてブルーカラー職の数は急速に減少しております。
名前は明かせませんが、大企業では、中国工場における生産性が生産性を上回っています。
ナレッジ・ワーカーは、経営管理者(マネジメント)への昇進を望んでいません。
あなたもマネジメントだけでなく、今でもインタビュアーと執筆活動を続けていますよね。
先進諸国では、私がナレッジ・テクノロジストと呼ぶ労働力人口が急激に拡大しています。
ナレッジ・ワーカー、ナレッジ・テクノロジストは、経営側に立つことを望んでいません。
とある病院の科が雇用しているナレッジ・ワーカーは3人から5人にすぎません。
ヨーロッパでは事情は異なりますし、日本のことは分かりません。
病院は、その地域の中で循環器科があると評判です。
しかし、そこに勤める人(彼女)はその病院に留まるつもりはありません。
忠誠心は病院では循環器科という専門分野に向かっています。
何人かは、ビジネススクールを運営する職をオファーされましたがノーと答えました。


人口変化が多国籍企業を変える
二つめの変化は、歴史の中で先進国の出生率が死亡率とほぼ同じになった、または下回ったということです。
変化についてもまた、日本が初めて経験する国となりました。
私は日本について十分知りません。
アウトソーシングが広く普及しています。
これはITよりも重要な変化なのです。
多国籍企業は国境によって定義されません。
企業が、国別ではなく製品ライン別の組織編成に変化しつつあります。
国別というより、製品ライン別の組織編成をしています。
生産性向上 そして、あらゆる先進国にとって、10年における課題は、会社で働くすべてのナレッジ・ワーカーをマネジメントする方針を確立し、生産性を上げることです。

南米で働く従業員の8割が正規雇用の社員でした。
7割はパートタイム労働者で、派遣会社やアウトソーシング会社、コンサルタント会社に所属しています。
誰も彼らをマネジメントしていません。
誰も彼らをマネージしきれません。
労働力をマネジメントする鍵となるのは人員に共通の使命、共通のゴールを理解させることだからです。
多くは、知識を仕事に活かそうかと考えますが、使命についてはあまり真剣に考えていません。
ナレッジ・ワーカーが、自らの仕事を共通の目標に向けていくようにしなければなりません。

ITはツールに過ぎません。
仕事内容に経営側は口出しできません。

循環器科部長の彼女に対し、こうすべきだ、などと誰も指示できません。
その患者を担当しているのはその内科医です。

生産テクノロジストは従属的な存在ではありませんし、ボスでもありません。
彼らはサプライヤーの工場へ行き、その工場を再編成(リストラクチャー)します。
労働力を開発し、マネジメントすることについて、我々は緒に就いたばかりです。
金でつることはできないのです。

──組織に属したくないテクノロジストたちを経営者はどうマネージしていけばよいのでしょうか。
日本については十分知りませんが、西欧では、財務的なインセンティブによって、マネジメントを試みてきました。実際にはあまりうまくいきませんでした。
組織構造の中で、そうした能力を管理職へ昇進するチャンスとして活かす試みがありましたが、彼らはそういったことに興味を示しません。

この企業の中枢は、こうした協力会社を調整しなければなりません。
あまり多くの人数を必要としません。
彼らにとって課題は、スペシャリストの中から、トップマネジメントを担える人材を見出し、育成することです。

テクノロジーがオートメーションを実現し、その結果として、台頭を後押ししている側面があります。
私たちは設計段階から品質管理を組み込んでおり、それがシックス・シグマ・アプローチにつながっています。
ところで、ここでいう品質管理はオートメーションではできません。

私は買い物に行かなくてはなりません。
店員に会うことはません。
お客にモノを売ろうとする販売員が店頭に20人くらいいて、レジの係は2人といった状態でした。
販売員はゼロです。
部分を管理していますが、欲しい物を見つけられない客が助けを必要とするまで、客と接触することはありません。販売員が今ではほとんどいなくなり、代わりにデパートメント・マネジャが増えたというわけです。

私は32年前にクレアモントに引っ越して来て同じ銀行と取引しています。
当時から場所も外観も変わっていません。
行員の数は25年前の半分くらいになっていますから、行員1人あたりのルーティン処理の仕事量は3倍から4倍になっていることになります。
大部分について自動化されているというわけではありませんが、顧客が自分で処理でき体系化されています。

── 外部情報はインターネットから入手できませんか。
自ら外へ出て実際に見て、検証することです。
友人の一人が、日本の大手エレクトロニクス企業にいるのですが、そこではトップマネジメントが一日かけて消費者の一人ひとりを観察するのだそうです。
電化製品を販売している東京の地区をご存知でしょう。
経営トップは他社製品を買う消費者を観察したり、話かけたりするそうです。製品を買う消費者とも話をします。
3か月に実際に大企業を動かしている20名ほどが一堂に会し、市場で見聞きしたことを報告し合います。

1992年あたりから日本人は敏感になりましたが、彼らはおよそ1年前にその兆候を察知していました。
日本人は価格よりもブランドに敏感でした。
情報に、消費者は敏感になってきたということです。

消費者が購入するエレクトロニクス製品はブランドのうちの一つですが、消費者はブランドを意識していません。
消費者は価格に非常に敏感になります。

インターネットは、そうした情報を教えてくれません。

アマゾンドットコムをご存知でしょう。あまりうまくいっておりません。
インターネットが実店舗を追随し状態です。
購買チャネルから、eコマース(電子商取引)へ移行は進むでしょう。
eコマース、インターネットは、これから情報源として発展していきます。
チケットなら問題はありません。
インターネットはあまり使いません。
私は旧式のジャーナリストです。

インターネットはパチパチやります。
出てくる情報が多すぎます。
800ものエントリーが出てきます。
彼は米国から出て仕事をしたいと思っていて、インターネットを使い、建築家を必要として海外プロジェクトを探しました。
私は旧式なのです。

会計はめまぐるしく変わります。
ご存知のとおり、会計の歴史は700年に遡ります。

急速に変化していますから、経営幹部は新しい会計を学ぶ必要がある。
というわけで、ナレッジ・エグゼクティブでも、チーフ・インフォメーション・オフィサでもよいのですが、それらは従来の経理部長の新しい役職名なのですが、新しい機能ではありません。

彼らは依然として会計の担当であって、マネジャではありません。定義もありません。
彼らはまだ本格的に外部情報を体系化できていません。

ジャック・ウェルチ、彼のことはご存知ですね。
中心人物は、ウェルチとCFO(最高財務責任者)とチーフ・ヒューマンリレーションズ・オフィサーです。CEOを中心に取締役会を構成しているのです。
企業ではマーケティング・マネジャ、私が知っている一つの会社ではプランナー、ストラテジストがナンバーツーを務めています。
チャンスに時間を割くことが得策です。
仕事はマーケティングであり、多種多様な財務管理は存在しません。
誰をキーパーソンにするか、企業によって様々なのです。
フォードでは、CFO自身がキーパーソンでした。

話になりますが、私が最初に知った1950年代において、非常に強力な製造のキーパーソンがいました。

これに対し、米国最古の大手小売チェーンであるシアーズ・ローバックを見てみると、価格決定、ディスプレイ、宣伝、そして取り扱いを止めるかについて、マネジャが決定権を持っています。裁量権はありません。中枢で決めます。

クレアモントには産業地区はありません。
彼らは15年前に市場が変化し、旧式の市場が消え去ったことを認識しなかった。
労働力をもって中国と競争しようなどと考えてはいけません。

友人は、この3カ月という冶金技術者を探しているのですが、良い人材が見つからないと言っています。冶金技術者は不足していません。
そのようなわけで、我々は高い教育を受けた人材を活かし、その中から生産性向上や価値創造を得る方法を学ばなければならない。
そうしないと競争できません。

顧客であり、友人でもある、歴史の古い採掘技術企業の話です。
この企業はおり、今や、中国に向けて技術を輸出していません。
先進国向けの仕事は米国と事業所が担っています。
製品は完全に成熟しているので、技術者を必要としません。
スキルは必要ないですし、そもそもそうしたスキルは中国で得られないのです。
ご存知のとおり広大な国ですので、輸送機関が未発達なのです。
彼らは中国事業に必要な資金を中国で調達しません。
彼らは素早く物事を学びます。
彼らにイノベーションを期待してはいけません。
彼らは広大な土地における輸送問題を解決することに慣れています。繰り返しますが、マネジメントや技術者といった人材は不足しています。
彼らは非常に巧く作りますが、それを改良することはありません。
中国を訪れ、「ああ、この国に必要なのは新しい製品だ」などと言う人は成功していません。

マネジメントを踏襲しつつ、しかもグローバル企業を牽引できるでしょうか。
エンターテインメント企業となり、エンターテインメント製品を生産していますが、製品を米国で、米国人マネジャの下で生産しています。
エンターテインメントはスキルや経験も米国的なものだからです。
日本本社とエンターテインメント部門と間で、ぶつかるという話を聞かされるでしょう。
この問題には、膨大な時間を対処しなければなりません。
スキルが必要です。
このように日米欧の三カ所に本拠地が分かれた状態で会社を運営するのは簡単ではありません。
仕事ができません。

一つの会社の中に異なる文化を抱えるのはとても難しいことです。
主要国と比較しても最小または低い数字です。

企業は、目覚しい速さで競争の仕方を学んでいます。
日本企業は労働コストで競争することはできません。
その中で、日本企業は中国企業と提携し、他のどの国よりも中国におけるビジネスを推進しています。
生産性は概して低く、かつ一貫性がありません。
動揺と、混乱と、急激な変化が見られるでしょう。
思うに、トヨタは自らの主な強みを生産と位置づけることについて、またそれについて考え抜くことについて、世界のほとんどの企業よりも抜きん出ています。

この10年のうちに、企業は何が自らの本当の強みなのかを十分考えなくてはなりません。
強みがないと生き残れません。
変化は何よりも急激です。
そんな中、日本はある意味で早く動いている。
金融セクターはスローですが。これら一連の変化は、もっと大きな変化のほんの始まりに過ぎないと私は思うのです。

水曜日, 2月 07, 2007

ドラッカー コミュニケーション

コミュニケーション・・・
コミュニケーションとは、知覚であり、期待であり、要求であり、情報ではない。
コミュニケーションと情報は相反する。
しかし、両者は依存関係にある。
・・・マネジメント

コミュニケーション・・・誤解される上司の言動
上司の言動、佐々氏な言葉じり、癖や習慣までもが、計算され意図された意味あるものと受け取られる。
・・・マネジメント

コミュニケーション・・・コミュニケーション成立の条件
コミュニケーションを成立させるのは受け手である。
内容を発する者、つまりコミュニケーターではない。
彼は発するだけである。
聞く者がいなければ、コミュニケーションは成立しない。
・・・マネジメント

コミュニケーション・・・受け手の言葉を使う
ソクラテスは、「大工と話すときは、大工の言葉を使え」と説いた。
コミュニケーションは、受け手の言葉を使わなければ成立しない。
受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならない。
・・・マネジメント

コミュニケーション・・・受け手の期待を知る
受け手が期待しているものを知ることなく、コミュニケーションを行うことはできない。
期待を知って、初めてその期待を利用できる。
あるいは、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを強引に認めさせる
ためのショックの必要を知る。
・・・マネジメント

コミュニケーション・・・受け手の気持ちに合わせる
コミュニケーションは、受け手に何かを要求する。
受け手が何かになること、何かをすること、何かを信じることを要求する。
何かをしたいという受け手の気持ちに訴える。
コミュニケーションは、受け手の価値観、欲求、目的に合致するとき強力となる。
合致しないとき、まったく受け付けられないか、抵抗される。
・・・マネジメント

コミュニケーション・・・コミュニケーションは組織のあり方そのもの
コミュニケーションは、私からあなたへ伝達するものではない。
それは、我々のなかの一人から、我々のなかのもう一人へ伝達するものである。
組織において、コミュニケーションは手段ではない。
組織のあり方そのものである。
・・・マネジメント

コミュニケーション・・・目標管理とコミュニケーション
目標管理こそ、組織内コミュニケーションの前提である。
目標管理においては、企業もしくは、自らの部門に対し、いかなる貢献を行うつもりか
を明らかにしなければならない。
・・・マネジメント



私はコミュニケーションについて、なにやら、誤解していたかもしれない。
「コミュニケーションと情報は相反する。」
この言葉には深い意味がありそうである。
「コミュニケーションは、それは、我々のなかの一人から、我々のなかのもう一人へ伝達するものである。」
ここでいう、コミュニケーションは、組織のあり方そのものに近く、一対一の伝達よりは、前提を必要とし、また、目的的なのであろう。

しかし、いわゆる、一般的コミュニケーションの定義にもインパクトのある内容である。
よくよく、かみしめたい。

これは、音楽にも応用がきくかもしれない。後日、考えてみよう。。。

ドラッカー 時間管理

時間管理・・・
時間は、もっとも稀少な資源である。
しかも、時間を管理できなければ、何も管理できない。
・・・経営者の条件

時間は、万人にとって共通のしかももっとも稀少な資源である。
このことを胸に刻んでおきたい。

ドラッカー 優先順位

優先順位・・・
なすべきことは、利用しうる資源よりも多く残る。
機会は実現のための手段よりも多い。
したがって、優先順位を決定しなければ何事もなしえない。
・・・創造する経営者

優先順位・・・集中するほど多くの仕事ができる
時間と労力と資源を集中するほど、実際にやれる仕事の数と種類が多くなる。
これこそ、困難な仕事をいくつも行う人の秘訣である。
一時に一つの仕事をする。その結果、他の人よりも少ない時間しか必要としない。
成功をあげられない人のほうが多く働いている。
・・・経営者の条件

優先順位・・・廃棄が新しい仕事を進める
古いものの計画的廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法である。
アイデアが不足している組織はない。
創造力が問題なのではない。
せっかくのよいアイデアを実現すべく仕事をしている組織が少ないことが問題なのである。
皆が昨日の仕事に忙しい。
・・・経営者の条件

日曜日, 1月 07, 2007

組織の存在理由とは?

「社内の活動は利益を生まない。コストである。利益は社外の活動で生まれる。」

働くことは、見方を変えればコストであるともいえる。

自らの仕事を単なるコストではなく、価値を生むものにするためには、
たとえば、お客さまにとって、価値のある仕事を直接的あるいは間接的にすることである。

「唯一、外の世界への貢献のみが、組織の存在理由である。」
ドラッカーの価値観は、非常にきびしい。。。。


常に自分の仕事が、外の世界へ貢献しているのかどうか?

プロフェッショナルたる者は、これをきびしく問う必要があろう。

日常生活においては、どうしても、日常に埋没し、どのように働くかということに傾きがちである。
しかし、外の世界へ何を貢献しているのか、この仕事はそれにどのようにつながっているのか、なんのために働くのか、といった、仕事の目的が、大本にある。

目的を失った仕事は、もともと、壮大な無駄でしかないのかもしれない。

プロフェッショナルたる者は、おそらく、
働くことの意味、目的を求め、また、外の世界に何をもって貢献するのかを、常に考えているべきなのだ。

セルフマネジメントと時間管理

成果をあげる能力は、天賦の才能というわけではない。
努力によって身に付けられるものである。

仕事においては、プロフェッショナルたるべきことが要求される。

ということで、まずは、努力して、プロフェッショナルにならねばらない。


さて、
マネジメントの要諦として、まずは、自己管理、すなわち、セルフマネジメントが重要である。

して、セルフマネジメントは、まず、「時間管理」から始まる。

仕事ができる人、プロフェッショナルは、密度の濃いディープな時間を過ごしている。
しかも、もしかすると、あなたよりも、より多くの時間を、それら重要なことに費やしているかもしれない。



ドラッカーは、時間をより有効に使う方法として、以下をあげているようだ。

「時間の使い方を記録し、時間の使い方を分析し、時間をまとめる」

「時間を記録し、分析し、まとめる。」


まずは、記録により無駄な時間を把握することが重要。
ひとつには、一か月近く、リアルタイムで時間の使い方を記録していく方法がよいらしい。

時間を無駄にする要因としては、二種類ある。
・外部から邪魔を受ける場合・・・人員過剰・システム欠陥・組織構造の欠陥など外的要因
・自分自身で無駄に使っている場合・・・仕事のやり方が非生産的・・・内的要因

外部要因としては、たとえば、会議過多症がある。
ドラッカーは、「会議をすることは、原則でなく例外であるべき」と名言を残している。

内的要因としては、
成果のあがらない仕事や、優先順位の低い仕事をしている場合、
また、他人に任せられる仕事を自分で抱え込んでしまっていこと
など。

外的要因、内的要因を分析し、時間を無駄にする要因 、成果に貢献していない時間を排除すべきであり、

そして、自らは、

・成果が上がる仕事
・自分しかできない仕事

に重点を置き、優先度の高い事項からやっていくことが、重要。


最後に、小さく短い時間をできるだけ大きくまとめて、仕事に集中する時間を長くすること。

細かく、細切れ時間を有効に使うことも重要だが、やはり重要な仕事をするには、まとまった時間が必要となる。

時間をまとめるには、いろいろな方法論があろう。
e.g.)
細かい仕事や、電話やメールの時間を、朝方と夕刻にまとめるなど。
仕事のアウトプットイメージや、段取り、マクロなスケジュールを意識し、部分部分に即集中してとりかかれるように、ブレークダウンしておくことなど。


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すべてのマネジメントは、自分の時間管理から始まる。

自分の時間を管理できない人間は、セルフマネジメントもできないし、まして、組織のマネジメントは不可能である。

余分な仕事に謀殺される一方で、些々な事に足をすくわれがちであるが、
それでは、目的を達成し、成果をあげることは、難しい。
目的や行動の方向、優先度を常に意識しておく必要がある。

また、自分の仕事をやりっぱなしにせず、時々、方法や手順を確認し、自分の実行を成果に結びついたのか、そうではなかったのかを評価することも重要であろう。

さらにいえば、中期的には、自己を高めること、勉学を怠らないこともセルフマネジメントのうちであろう。
読書、経験、沢山の知恵者、知人をもつこと、そしてよいと思ったことは実践し、確認していくことが、やはり、自己研鑽の王道であろう。

定期的な仕事の検証が好循環を生む。
そして、改善事項、集中すべき事項、勉強すべきことを明らかにする。
このことが、長いスパンでの、仕事の優先順位、重要性をも明らかにしていくことにつながるようだ。



「成果をあげる能力は、天賦の才能というわけではない。努力によって身に付けられるものである。」

この言葉を胸に、少しずつがんばりたいものである。継続は力なり。。。

火曜日, 12月 19, 2006

時間管理のできる人、そして時間を奪う人

時間は減りこそすれ、増やすことはできない。

相対性理論の有効な世界を除けば、一般的に、時間は、万人に共通なものであろう。

しかし、皮肉なことに、時間管理のできない人ほど、他の人の時間を平気で使い、奪ってしまうようだ。

時間は、なににも代えられないような貴重な資源である。
それ故、時間管理は、プロフェッショナルにとって最も重要な条件のひとつである。

時間管理で大切なのは、最も重要なことから始めること。

やりやすいもの、簡単なものから始めても、なかなか、効果は出ない。
依然として、最も重要な課題は、残されたままであるからだ。

以上は、私の考え出したことではない。
有名なドラッカーの言葉を、一部、引用あるいは意訳したものである。

ドラッカーは、
「成果をあげる者は、努めて時間を記録し、管理し、まとまった時間をつくる」
と述べているようだ。

個人の時間を管理できずに、家族、いや、組織の時間を管理することは難しいであろう。

また、他人に無駄な時間を使わせることは、最も重い罪に値する問題でもあろう。

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ちなみに、私は、仕事上は、最も重要なことからはじめるようにはしているのだが、
途中、いきづまったり、疲れたりすると、
合間に、小事に時間を費やす。
して、また、立ち直り次第、重要なことに復帰するという具合である。

決して時間管理がうまいほうではないが、ドラッカーの教えに極力沿おうと努力はしている。

時に、大きくいきづまったり、混乱したときは、
小事であろうと、大事であろうと、目の前に来た順に対応してしまうこともある。

まずは、大事、重要な課題に、大方対応しつつ、
心の大きな意味での余裕を保つことが、自分自身の上手な時間管理の前提のようである。

日曜日, 12月 10, 2006

古いものの計画的廃棄?!

「古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法」by ドラッカー

経営論、マネジメント論の神様のドラッカーの言葉のひとつである。

主旨は、
「すでに機能しなくなったものに資源を投じてはならない。
たとえば、永遠に通用する組織形態などない。
環境変化にあわせて変わらねばならない。」
ということのようだ。

変化に対応できないものは滅ぶという、この頃はやりの主張も、上記「廃棄」によって解決できそうである。


しかし、私の課題は、増え行く、自分の周りの書籍なり書類の山々の整理である。
会社においても自宅においても課題は同じ。

新しいものを求めていくには、古いものは思いきって捨てていきたい。
簡単そうでいて、難しい課題。

少しずつ、しかも、大胆に捨てていきたい。


妥協にあたってのポリシー  ドラッカー

1. イギリス人・・・不正も半分にすると正義になる
2. アメリカ人・・・相手をやっつけられなかったら、相手と組め
3. パンは半切れでもパンだが、赤ん坊はそうはいかない。

なんのことじゃ?ということなのだが、いずれも妥協にあたっての考え方の例であり、経営論の神様P.F.ドラッカーの教えのひとつであるらしい。
(赤ん坊の例は、「とても大切で割る事ができない一体であるもの」の例であろうか。)

ドラッカーは、何かの仕事をするとき、自分のクライエント(頼み主)が誰であるかをはっきり認識し、すべてを、そのニーズの実現のために、優先させ、ほかとは決して妥協しない。
しかし、相手の関係者のなかに自分と相性があわない人がいるときだけ、「相手を代える」という妥協だけはするらしい。

ドラッカー曰く、
・良い妥協とは、こちらの求めるものが半分でも残っている場合。すなわちパンの半分のケース。
・悪い妥協とは、二つに割ったりすれば元も子もなくなる赤ん坊の場合である。

ドラッカーが現代経営学のはしりのひとりとして高く評価しているフォレット女史(1868-1933)の古典的名著として、「ダイナミック・アドミニストレーション」(動態的管理?)があり、その中で、彼女は、以下の事項を早くも見抜いていると、ドラッカーはいう。

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1. 経営を単なる仕組みではなくて、一つの、人と人との関係する社会的なプロセスとしてみること
2. 今日でいう、エンパワーメント(権限委譲)、すなわち、部下を信頼して、その自主性を尊重してまかせること
3.  経営者が、未来をきちんと見据えて描き出したビジョンに基づくリーダーシップが経営の根本にあること
4. 取引や交渉よりも、真実の人間のかかわりに基づく関係が重要なこと

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また、特に人間と人間、組織と組織の関わり方には、

1. 対立
・・・一方の主張が全面的に通る、勝ち負けの関係、しかも、あとで、リベンジされる恐れが十分に残る
2. 妥協
・・・・片方ずつ、部分的にその主張が通るが、残りの部分はそれぞれ不満が残る関係
3. 統合
・・・両方の主張を創造的に統合して、両者ともども満足が得られ、相互の共存共栄が図れる、いわゆる、「WIN・WIN」関係

以上の三種類があると分析している。

できれば、第三の統合が望ましい。

だめなら、やむなく妥協。ただし、パンの半分をとること。
そのためには、双方のコミュニケーションが深まり、双方の主張と立場がより鮮明になることが前提として必要ともドラッカーは述べている。
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組織において、リーダーたる場合には、妥協のポリシー、WinWin統合が無理な場合でも、
良い妥協、パンの半分はとれる妥協を心掛けていきたいものである。