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日曜日, 4月 22, 2007

新3K

新3Kとは何か。

既に、普通によく使われている言葉ですね。

所謂、3Kは、「きつい、危険、汚い」でしたね。


一方、新3Kとは、一般的には、

きつい、厳しい、帰れない

のようです。

また、以下のような亜流定義もよくみられます。
・きつい、帰れない、気が休まらない
・きつい、帰れない、きりがない
・きつい、帰れない、給料安い

近年では、IT業界も、新3K職場とか言われますが、本当にそうなのかどうかはクエスチョンと思います。

きついは、
 仕事上でかかる質量における負荷の大きさ、休みのなさ(休みはかきいれ時)
厳しいは、
 顧客からの納期や予算のシビアさ
帰れないは、
 日夜遅くまで続く残業

をあらわしているのでしょうが、・・・・

IT、特に、SE/PG業務では、
まず、最初のユーザニーズ・スペック・各種条件との擦り合わせと、コンセンサス、到達ゴール基本目標の相互確認が重要で、この部分がしっかりしていれば、また、見積もりやリスク対応論がきちんとできていれば、プロジェクト後半で、あまり困ることにはならないのが事実と思います。

これらが、欠けている場合は、おうおうにして、プロジェクトの中盤以後、とてもきつく、厳しく、帰れない毎日が続くことになります。

しかし、昨年8月に某社より発表された
「働きやすい会社2006」ランキングでは、全250余社の人事労務制度の充実度からみて、総合一位は「松下」、IT業界ではなんと総合二位に「日本HP」、「日本IBM」が総合四位と健闘。

IT業界、そして、特に厳しい、SE/PG業務であっても、問題なく気持ち良く仕事をすることも可能であると思います。それには、重要なこつがあり、また、よく考えて実施していけば、工夫して、新3Kを避けることもできるのです。

また、考えようによっては、3Kや新3Kを避けるのではなく、逆転発想で、
社会人の早い時期に(新)3Kを率先して行い、特に現場のなんたるかを経験しきちんと理解してこそ、将来の仕事に対する基礎はできるということも十分にありえます。
3Kに埋没する必要はありませんが、一度はそれにそまり、それをどう脱出するかをよく考え工夫すること、これらが、真に必要な将来のビジネス力につながることもおおいにありうるわけです。

(新)3Kを避けることで、実はとても大切な成長の機会を失しているかもしれないことにも留意すべきでしょう。


さて、
新3Kは、「健全、賢明、謙虚」との説もあります。

明るく、賢く、健康でやっていきたいものです。


その他参考
3K
「勘」「経験」「神頼み」「気分次第」「神風アタック」
KKD
「勘」「経験」「度胸」

金曜日, 1月 19, 2007

2007年問題、魂の継承

とあるソリューション雑誌から

--
営業の「2007年問題」

変革のチャンス、
課題は “魂” の継承

2007年が目前に迫ってきた。
来年を機に、ユーザー企業のIT部門を率いてきたベテランが徐々に引退していく。
同時に、ユーザー企業のキーパーソンと強固な信頼関係を築いてきた****の営業幹部も、会社を去っていく。
営業にも、「2007年問題」が存在するのだ。
その問題の本質は、“営業魂”を継承できるかどうか。
ただし悲観することはない。世代交代は、新しい営業スタイルに移行するための絶好のチャンスなのだ。
--


ノウハウやノウフーの伝承もこれありであるが、

徒弟制度で、長年継続して、伝承していける環境でもない限り、若い人たちへ、仕事魂を継承できるかどうか・・・

これは、大変難しいことであろう。

口で、描いて説明できるものならばまだよいが、
なかなか、魂の継承は難しそうである。


やはり、OJT/そして、数々の場面で教えていくものなのでありましょうね。

ケースバイケースで変化していく、移ろいやすいことがらは、さておき、

おそらく、じっくり経験や年月に裏打ちされて醸成されてきた、この魂の継承をどのように実施していくかということこそが、もっとも困難を極めることなのであろう。

心しておきたい。

企業家、経営者としての才

とある雑誌の一文・・・・

--
経営者として成功するため、

・厳しい運動部にはいる
・不祥事で社会から糾弾されている会社だから、入社する
・誰もが難しいと考える分野ゆえに、進出する。

これら、一般的な常識では結びがたい因果関係に
そのとおり!と膝を打ち、
かつ、実行できる人には、

企業家、経営者としての才が秘められているかもしれない。

--

そうかもしれない。


そして、なによりも、

かつ、実行できる人

が重要なのかもしれない。


また、単なる賭けではなく、
自ら、なぜ、それが、うまくいくか、
また、どのように、困難をクリアしていくかを
よくよく、人よりもきちんと、深堀りしてこそ、
このことはうまくいくのであろう。

いづれにせよ、全く人と同じことをやっているようでは、だめなのであろうな。

もし、人と同じことをやるとしても、不器用な分、人よりも回数を多くこなす、
いや、二倍、十倍こなせば、ほどほどのところにはいけるであろう。

いやはや、やはり、自分は凡人であることは間違いない。笑

金曜日, 1月 12, 2007

思い込みなしに挑戦する!

2006年9月のおそらく日経ビジネスに掲載された金言といえる言葉から。


「これはやってはいけない」「そんなことはできない」といった思い込みなしに何にでも挑戦する。

米グーグル ヴィントン・サーフ氏の言葉です。


以下詳細
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グーグルが魅力的なのは、非常に優れたビジネスモデルがあり、まだ8歳の若い会社だということです。
私と違ってみんなとても若く、「これはやってはいけない」「そんなことはできない」といった思い込みなしに何にでも挑戦する。
若いだけでなく非常に頭の切れる大勢の人間が、時速900マイルで突っ走っている感じです。
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優秀なドクターたちが、手と足を動かしながら、そのブレインを楽しみつつも日夜すごいスピードで酷使している。
グーグルはそんなイメージです。
私の近年の人生観は、彼等の出現により、かなり変わりつつある状況です。

こちら側の一凡人として、ずっとWatchし続けたい彼方のグーグル。

マイクロソフトやヤフーとともに、また、Amazonとともに、彼等の活動とその成果を見ていきたいものです。


「これはやってはいけない」「そんなことはできない」といった思い込みなしに何にでも挑戦する。・・・
と、そこまではできずとも、いけないとかできないものを大幅に思い込みのリストから削り込み、新たな挑戦をしていくことも必要と肝に銘じておきたいものです。

最大の敵は、今の延長にある思い込みの中で生きている、自分と仲間たちなのかもしれません。

高いところに行くには、下からの積み上げが必要

これまた、少々古い情報(続き)です。
2006年1-2月のおそらく日経ビジネスに掲載された金言といえる言葉から。

高いところに行くには、下から積み上げていかなくてはなりません。

イチローの言葉です。

以下詳細
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高い目標を成し遂げたいと思うなら、常に近い目標を持ち、できればその次の目標も持っておくことです。
それを省いて遠くに行こうとすれば、挫折感を味わうことになるでしょう。
近くの目標を定めてこそギャップは少ないし、仮に届かなければ、別のやり方でやろうと考えられる。
高いところに行くには、下から積み上げていかなくてはなりません。
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あたりまえといえば、あたりまえすぎる話である。

なにごとも、一発大当たりということは、万分の一の賭け事の話を除けば、ありえないのであろう。

日々の努力、そして、その前には、合理的な目標設定、
着実かつ、たゆみないステップこそが、唯一頂上に近付く道であるということか。

近年では、スポーツ選手になるには、いかに幼少の頃から、競い合える仲間たちとともに、そのスポーツを猛練習するかということが、大切との論もよく聞く。

考えてみれば、音楽でもそうである。

幼少より、練習に練習を重ね、より上位のステップにのぼり、改善につぐ改善を、そして、経験につぐ経験を重ねて、プロに至るのである。

チームとしての活動は、また、別の方法論が必要としても、
個人としてのプロに至るまでの過程というものは、下から順々に、積み上げていくことが王道のようである。

凡才である自分にとっては、頭の痛い話である。

目標のぶれを直し、絞り込みつつ、ゆっくりと、しかし、着実に登り坂を走っていきたい。

水曜日, 1月 03, 2007

40歳で隠居!

元旦、とある新聞に、「隠居の思想と現実」という題で、浅田次郎氏が、こう書いている。

「昔の侍は十五歳で元服し、二十歳で結婚をして家督を引き継ぎ、おおむね二十年働いた後、四十歳で隠居するのを理想のライフサイクルと考えていたらしい」

人間が短命であったこともあるのであろうが、むしろ社会の要請もしくは道徳で、四十代は老人扱いされていたとのことである。

江戸や諸藩の城下には、四十代からの若隠居が反乱していて、家督を譲れば倅の仕事にも家政にも口出しをせぬのが彼等の美徳であり、そのかわりに孫を教育し若者を啓蟄し、あるいはみずから学問を積み趣味道楽を極めたという。芝居に例えれば、彼等は、陰で支える黒子に転じたのであろうとのこと。


先日、教養番組で、「骨の年齢」について、とある先生が話をされていた。
骨は、二十歳前に、ほぼ成長を完成し、30歳まではもつようにつくられているが、それ以後はあまり考えられていない。すなわち、骨からいえば、30歳以降は、「余り」or「おまけ」の人生のようなもの。

今の世の中は、職業にもよろうが、60歳前後が定年のようである。
身体には色々と不都合を抱えつつも、元気な老人たちは、あれこれと、檄をとばす。

しかし、2007年問題というものも到来し、元気な老人たちが、もしも、一斉に姿を消していく場合、若手はどのようにこれからをいきていこうとするのか。

先日、とある元気な老人の一人とお話をしていたのだが、

後継者は、30代から40代前半、このあたりから選ぶべしとの話がでた。

50代の人に後継しても、もともと、団塊の世代に続く世代であり、従来の延長はできても、改革などできはしないかもしれない。
ついては、さらに、もう一代、二代、若手層を鍛えればよいのではないかとの議論である。
場合によっては、幹部層も、40代にしてしまうというのも一考かもしれない。

さすれば、先人が、子供や孫を育てたのと同様、
老人たちは、30代後半から40代前半を、
50代は、20代後半から30代前半を、
40代は、20代前半を
育成するというのもアイデアかもしれない。

幹部層を40代にしてしまえば、50代、おそくも50代後半は隠居である。

今までの60代を老人といっていたことを、やや若返らせ、50代を隠居世代、老人たちと呼ぶことにする。
そして、上記のように、巧みを、知恵を伝承させていくことを考えれば、なにやら、うまくいくような気もする。

問題は、世代ギャップをのりこえ、世代間で話ができるかどうかである。

常日頃から、同世代や年上との会話とともに、
若い世代、あるいは子供たちとの話をできるように、自らも準備をしておく必要があろう。

20歳前後、年齢の異なる人たちとお話をするということは、ほぼ、宇宙人同士の会話に近いことかもしれない。
お互いに話をする前段としての、共通話題というのも必要なのでありましょうね。

スポーツとか趣味であれば、比較的、話はしやすい。
ただ、もう少し踏み込んだ、話し合いができるかどうか。
悩みを相談できるか、
本音で話ができるかどうか。

中国、韓国、米国と比べて、日本の親子関係は、濃密とはいえない。仮面の関係であるとのレポートもあるようだ。
子供からいえば、余計なお世話、うるさい説教にもなりうる。

若手にとっての、ご隠居は、あくまでも、静かであって欲しいものなのかもしれない。
悩みは深い。

しかし、おそらく、これからの課題山積みの未来に向けては、
若手は、老人たちの知恵を拝借すべきであり、
また、老人は、うるさくない程度に、二周り以上離れた若者に話しかけるべきであろう。

さすれば、老人?たちが、50歳後半で隠居しても、世の中はうまくいきそうな気がする。

そして、隠居は、老人ということでなく、リーダーを若手に譲ったというだけであり、世の中の発展にも寄与している。
してみると、老人という定義はあてはまらないということになりそうである。

老人は、75歳以上と定義すべきとの議論もあるようだ。

50代後半から60歳での隠居は、まだまだ若く、若手リーダーではできないような分野、困難多き分野、
たとえば、
若手への知恵の継承や、
世界の難題解決、人の為・平和につながるが未来課題への対応の自ら真に望む分野のリーダーを務めるということにすれば、
まさしく、シニアリーダーということになる。

隠居万歳である。
留まり休む隠居ではなく、歩き続ける隠居でありたいものだ。