土曜日, 3月 17, 2007

マーケティングとは

マーケティングの定義

・・・AMA(アメリカ・マーケティング協会)による定義・・・

マーケティングは、組織的な活動であり、顧客に対し、価値を創造し、価値についてコミュニケーションを行い、価値を届けるための一連のプロセスであり、さらにまた組織及び組織のステークホルダーに恩恵をもたらす方法で、顧客関係を管理するための一連のプロセス。


・・・コトラーの定義・・・

マーケティングは、個人やグループが価値物(製品やサービスなどを含む)を創造し、提供し、それを他者と自由に交換することで、ニーズやウォンツを満足させる社会的、管理的プロセスのこと。

(単に、製品やサービスを交換するというよりは、価値を交換するというもの。)



コトラーは、マーケティングを会社経営的なものから、社会活動プロセスを含むものとして拡張したようだ。



参考・・・デ・マーケティング(demarketing)

現時点での企業の供給能力と顧客の需要の統制をとろうとするマーケティング手法。
製品の価格を上げたり、販売制限を行うなど、需要を抑えるために4Pをコントロールすること。



参考・・・4P
4Pとは、マーケティング・ミックスのために用いられるマーケティング・ツールを大きく4つに分けたもの。
製品(Product)、
価格(Price)、
流通(Place)、
プロモーション(Promotion)
の4つ。
標的市場から自社が望む反応を引き出すために、マーケターはこれらのツールを効果的に組合せる必要があり、また、ブランディングを考慮した場合、単に数字的な効果の最大化を狙ったマーケティング・ミックスを考えるだけでなく、ブランドの一貫性を損なわない形で組合せを考えなくてはならない。

TOWS分析 VS SWOT分析

SWOT分析とは、一般的に、

企業の
強み(Strength)、
弱み(Weakness)、
機会(Opportunity)、
脅威(Threat)

に渡る全体的な評価のことですね。

しかし、コトラーは、
「SWOT分析は、TOWS分析と呼ぶべきである」
といっているらしい。

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SWOT分析は
外部環境分析(機会/脅威の分析)

内部環境分析(強み/弱みの分析)
に区分することができる。

外部環境分析とは、
企業あるいは事業単位が自らの利益をあげる能力に影響を与える
マクロ環境要因(経済、技術、政治、法規制、社会、文化)

ミクロ環境要因(顧客、競合他社、流通業者、供給業者)
の変化を観察し、関連する機会と脅威を見極めること。

また、内部環境分析とは、
魅力的な機会において成功するコンピタンスが自社の内部にあるかどうかを
強み、弱みとして評価すること。


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コトラーの言い分によると、

S、W、O、Tの順番だと、外部環境検討が後回しになってしまう。

まずは、外部環境、脅威TとO機会を先に検討、

そして、内部環境、W弱みとS強みを検討するほうがよい。

内部環境を先に基点としてから、外部環境を分析すると、
どうしても、外部環境が内部環境視点によって、限定されてしまうなどの問題を回避することもその理由のようだ。

金曜日, 3月 16, 2007

クリエイティブオフィスに関するメモ

クリエイティブオフィス

・フリーアドレスは、1995年頃から広まる。

・話し声や笑い声が絶えない職場は生産性が高い?

・IT化を進めれば進めるほど、人と人とのコミュニケーションが密になる。

・雑談の中からアイデアが噴出し、組織温暖的なプロジェクトが自然と生まれる職場。

・ツールは整ってきている
 -入退出システムによる個人在籍確認またはコラボラ系ツール
 -IP電話・携帯電話併用
 -カメラによる社内の情景共有
 -個人ホームページ公開 自己紹介、経歴、趣味、書庫
 -資料オンライン上格納
 -画像転送システムの活用
 -携帯電話で写真を撮ると、自動的にオンライン上でアップされる
  (顧客先の状況などをオンタイムに相手に伝えることができる)



前提条件
・個人に創造性があること
・変化を肯定的に受け入れられること
・柔軟な思考
・自立的・能動的な仕事のスタイル
・権限委譲の習慣


但し、
・その人のスキルのかなりの部分がオープンになってしまう
・仕事のできない人の横には誰もすわらないことも


目指すもの
・クリエイティブオフィス・・・情報と人の知の共有・創出の場
・知恵をビジネスに変えていくための場つくり
  -ピラミッド型組織からアメーバ型組織へ
  -ネットワーク組織への本格的転換を迫る、非常に画期的な環境
  -縦横柔軟にヒューマンコミュニケーションが活性化し、積極的に知が交流する
  -知識創造の有効なモデル環境のひとつ


ツールは揃ってきた。自分のオフィスにおいても、いくつかを除けば整いつつある。

できないということは、何かが足りない。
目標としていない・・・
いや、前提条件が足りない。

これらのことは、昔から、叫ばれ、そして、そうもう10年以上も時を経ているのだから、できてもよいと思う。

しかし、相変わらず、紙の山に埋もれ、また、電子的にも、色々な変換作業がつきまとう。
忙しくなる一方である。

心の余裕、考える余裕、創造する余裕を大切にしつつ、
むだな時間は、スマートに削っていきたいものである。



P.S.
好きな音楽たち
・ビル・エヴァンスのCDs
・ビル・エヴァンスの楽譜たち

水曜日, 3月 14, 2007

大多数の意見が正しいとき?!

大多数の意見が、おおむね正しい場合とそうでない場合があることについては、私も気づいていた。
そして、とある雑誌に、興味深い内容が掲載されていたので、そのサマリーならびに自分のコメントを
含めて、ここに紹介しておきたい。

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専門家の意見より多数の意見が正しいことが往々にしてある。

・この製品は売れるか
・この新人は入社したらどの程度成果をあげられるか

といった問いかけに対する最も賢い答えの導き方は、専門家に聞くよりも、大勢の人間に意見を聞いて、多数派の意見を採用することである。

しかし、「みんなの意見」は案外正しいらしいのは何故か?

大きな集団は、あちらこちらに散在する大量の知恵を集積できるので、大勢が色々意見をいえば、おおむね専門家より優れた判断に至るとのことらしい。

集団によるこの平均的な判断は、時としてとてもとても正確なのである。

しかし、時に、この大多数の意見は外れることもある。
みんなの意見に従うと間違えることもある。
また、大多数の意見が、正確な場合と、そうでない場合がなぜあるのか。
どのような場合に正確で、どのような場合には不正確なのか。

三人寄れば文殊の知恵、いや、大多数の意見が正解にならないときとはどんなときなのか。


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さて、ここに、「コンドルセの陪審定理」というものが存在するらしい。

フランスの数学者で社会学者でもある、コンドルセは、18世紀に、「コンドルセの陪審定理」と呼ばれる命題の中で単純な結果を示した。

ある二者択一の問題に答えを出す場合、その集団の過半数が正しい答えを選ぶ確率は、集団規模が大きくなるほどどんどん100%に近づく。
但し、前提条件として、
・過半数の判断が、勝利すること。即ち、多数決原理。
・個々人が正しい答えを選ぶ確率が50%超であること。
がなりたつこと。



昔の人々は、この定理を選択肢が三つ以上ある場合に拡大した。

この場合でも、個々が、正しい答えを選ぶ確率が50%を超えている場合、集団規模が十分に大きければ、多数の答えは、高い確率で正しいのである。

正答率は集団のほうが個人より高く、集団の規模が大きいほど高い。



だが、いつもそうであるとは限らない。大多数意見がいつも正しいとは限らない。


たとえば、集団内の比較的少数の人しか正確な情報にアクセスできないために、集団内の個々人が間違った答えを選んでしまう可能性が50%を超える場合は、その集団の過半数が正確な判断を下す確率は、集団の規模が大きくなるにつれて、逆にどんどんゼロに近づく。
だから、多くの人が、正確な情報を持っていない場合には、要注意!!!

組織の中に大量の分散情報がない場合には、組織メンバーの意見、大多数の意見に頼るのは賢明ではない。

自社内の予測には、社内の多数意見に頼るのもいいが、
競合他社の行動予測や製品完成時期の予測には、社内の意見を聞いてもあまり役にはたたないだろう。

集団がその問いについての正しい情報をほとんど持たず、そのため大方の個々のメンバーが判断を誤ると思われる場合には、彼らの大多数の判断を無視して、その道の専門家の意見を聞くのが最善の策になるだろう。
こういう場合には、デルファイ法が役に立つのである。

日曜日, 3月 11, 2007

IT時代、考える力が重要に

とある論文から

1. 情報共有で中間管理職の実力があからさまに
2. IT時代の中間管理職は「考える力」を求められる
3. 「書くこと」が「考える力」につながる

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IT時代には、情報共有が進み、上司も部下もその中では、個々の実力があからさまになってしまうらしい。

今までは、上司が部下に一対一で、指示した内容や、関係者だけが知らなかった情報がたくさんあった。
しかし、今後情報共有が進むと、多くの人の目にふれるようになってくる。

間違った判断をした場合、皆にわかってしまう。
発信された情報にたいして、返信する人間が限られてくれば、誰が情報を的確に処理し、うまく活用できるできるかが見えてくる。
中間管理職が、本来必要な決断力や判断力が欠落していることが、皆にわかってしまう。
意見を押し付けるだけ、指示が遅い、ない、仕事の優先順位がつけられない。。。
意図を理解してくれない。

上司、中間管理職の実力もみえみえになってしまい、把握力、考える力のないものは、淘汰されることになっていく。

コミュニケーション力、把握力や考える力、情報発信力を強くするには、
たとえば、
会議における発言力を鍛えたり、書く力をつけることが重要らしい。

電子メールやグループウェアでのコミュニケーションでは、伝えたいことを整理し、明確な文章にする必要がある。
ところが、文章中心にきちんとものごとを伝えていくには、高いスキルが必要である。
前もって、相手のことを考え、伝わる文章を書かなければならない。
これが、考える訓練にもなる。
文章を書く力、読む力は、情報を活用する力にもつながってくる。

今後は、従来型のチームワークにとどまらず、IT時代の良さを活かし、相互に刺激しあい、学習する組織に変化していくことがよいとされている。

その中でも、中間管理職の考える力をどうやって、育成するか、
これは、たくさんの情報を読み、整理して、書いていく、この繰り返しによって、強まるかもしれない。

しかし、この変化に対応できない面々には、異なる役割を与えていくことになろう。
ナレッジマネジメント形の学習する組織には、年齢や過去の功績よりも、情報を活用し考えられる人こそが、上位者としてふさわしい。

2007年問題として、今まで、見えないノウハウになっていた部分の継承を含め、これらの変化にどのように対応していくのか、

大きな課題であろう。

昭和20年代の頃の電力事情

H氏との会見録から

T電力に、入社当時には、コンピュータもなく、可視的な、目に見えるところでのコントロールしかできない状態であった。

水力が中心、水力を軸に、石炭火力をいかに使うかということが、電力会社の経営の命題。

現在の6000万kW出力にくらべれば、当時(昭和26年頃)は、180万kWくらい。
一戸に電灯がひとつ灯っている家庭がほとんどだったのではないだろうか。

工場のように大量に電気を使うところはあったが、商店街などでは、いかに少ない伝統で効果をあげるかという指導をした。

昭和35年には、火力発電料が水力を上回る。
復興とともに、日本産業が飛躍的発展・成長を遂げていくが、電力設備整備が、これにおいついていけるかどうか、発電所の建設が間に合うかどうかが肝。

電力需要が17パーセントも伸びた年もあった。

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昔の戦後、日本急成長の時期には、このようなことであったようだ。
昔は、一家に電球ひとつとは。
今では、いくつの電球がついているであろうか。

そういえば、インドでは、普通に、一日に、二、三回、停電がおこる。
ほとんどの貧しき家、しかも、不法にたてられた家家では、電気もきていないのであろう。
インフラ整備が、遅れているが、次第に国も力をいれだしてきているとの話を昨年聞いた。

日本は、すでに、電球の数では、豊な時代。
昔の生活水準にあともどりは、すでに困難とはいえ、

どのように、リサイクルで、省エネでやっていけるのか、
今度は、頭をひねりつつ、取り組んでいきたいものだ。

そうそう、昭和の20年の頃には、
「実際に電線に触って、電気が通っているかを確かめるという、訓練を通じて、身を以て、電気の危険性を知る」ということをやっていたそうだ。
現在は、すでに、何十もの安全策がほどこされているわけだが、
電気は、そのままでは、危険であることは、よく知っておくべきだろう。

昔から存在した「子供の科学」の付録に、科学カルタがついていて、H氏は、それを懐かしむ。
「濡れ手で伝統電灯、触ると危険」

火曜日, 3月 06, 2007

2031年までに登場する新技術

これまた、少々古い話であるが、先日、「2031年までに登場する新技術」が日経系の雑誌に掲載されていた。
御覧になった方も多いでありましょう。

しかし、驚いたその内容とは、
 
2025年頃までに、眼鏡なしで見られる家庭用立体テレビができるそうです。

翻訳機能つき携帯電話などもできそうです。(これで、外国語の勉強から解放される???)

そして、なんと、
2030年頃に、念力インターフェース、記憶を拡張する外部脳ができる?!!!

これは、まさしく、SF、あるいは、甲殻機動隊攻殻機動隊とかの世界かもしれません。

脳波を利用して,考えるだけでパソコンを操作できる「念力インターフェース」

一般常識と個人の経験を蓄積し記憶を拡張する「外部脳」

そして、当然ながら、「人間の記憶を電気的にコンピュータで読み取る技術」はセットものということであります。

脳波を拾って記録したり、分析したりは今もどんどん研究が進んでいるわけですが、明示的に思考したとおりに、インタフェースできるとなると、すごいことになりましょうね。

脳波センサー帽かなにかをかぶって立体マウスでも操作することになるのかもしれません。

人間があくまでも、操作側であればよいのですが、コンピューター側が、人間を操作するようになると、なかなかリスキーな世界が広がります。


アイザック・アシモフのロボット法三原則
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第1条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
第2条 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第1条に反する命令はこの限りではない。
第3条 ロボットは自らの存在を守らなくてはならない。ただし、それは第1条、第2条に違反しない場合に限る。
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これを、コンピューターシステム側にも、持ち込む必要を感じます。

ロボットを含む、コンピューター・ネットワークシステム、これをRITCと書き直せば、以下となりましょう。
第1条 RITCは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
第2条 RITCは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第1条に反する命令はこの限りではない。
第3条 RITCは自らの存在を守らなくてはならない。ただし、それは第1条、第2条に違反しない場合に限る。

なお、RITCは、Tyees造語、Robot, Information Technology and Communication

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この雑誌においては、識者40名以上から意見を集約した結果、コンピューター・ネットワークシステムは、
「効率性や利便性だけを追い求めるのではなく,人間の心に安らぎや豊かさをもたらすシステム」をめざすべきとの論がでてきています。

昔の無駄があったが,余裕もあったシステムから、最近では、効率性・利便性を追求し、余裕のないシステムになりつつある。
近未来、2030年代には、「人間的な豊かさ」が再度求められるとの論には、共感を覚えます。

より高度でハイタッチな、人間的な豊かさを追求するとなると、この雑誌にも紹介されていることですが、
・安心安全を守る
・人間同士のコミュニケーションを円滑にする
・知的好奇心を刺激.
などが重要視されるようになるのでありましょう。


RITC三原則は、このようにして、さらに発展します。

第1条 RITCは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
第2条 RITCは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第1条に反する命令はこの限りではない。
第3条 RITCは自らの存在を守らなくてはならない。ただし、それは第1条、第2条に違反しない場合に限る。
第4条 RITCは人間の安心・安全を守らなくてはならない。ただし、それは、・・・・に限る。
第5条 RITCは人間同士のコミュニケーションを円滑にしなくてはならない。ただし、それは、・・・・に限る。
第6条 RITCは人間の知的好奇心を刺激しなくてはならない。ただし、それは、RITC-SR、コンプライアンスに違反しない場合に限る。
(RITCは、Tyees造語、Robot, Information Technology and Communication、
SRは、Social Responsibility)

第四条から六条は、このままでは、ルールとしては、複雑・高度すぎて具体的ではないが、電子頭脳並びにコミュニケーションネットワークをインテリジェントに管理するエージェント(ロボットかもしれないし、コンピューターかもしれない・・・)には、このようなルールを守ってもらう時代がくるかもしれない。



さて、さらに、この雑誌には、意味深い、以下のようなことが書いてある。

・・・地球における生物の歴史はおよそ40億年だが、多細胞生物が増えてきたのは,ここ10億年のこと。
・・・最初は、細胞1つ1つがバラバラに生きていたが、環境条件が悪くなって集り一生命体になった。
・・・この様にして多細胞生物が出来上がってきた・・・

・・・細胞も,我々も,更に会社も社会も「階層的オートポイエーティック・システム」である
・・・オートポイエーティックとは「自分で自分をつくる」という意味
  
・・・自分で自分を律しつつ,全体としてはある機能を実現している。これが,オートポイエーティック・システムのイメージ・・・

RobotもAgentも、アバターも、コンピューターも、コミュニケーションネットワークも、このように成長していくとなると、やはり、高度な守るべきルール、標準化されたルールというものが、必要になりましょうね。

未来は、明るいことを祈りたいものですが、それには、数々の課題を解決し、ルールを決めて、埋め込んでいく必要がありましょう。
それは、我々の義務でもあることになりましょう。