金曜日, 1月 19, 2007

2007年問題、魂の継承

とあるソリューション雑誌から

--
営業の「2007年問題」

変革のチャンス、
課題は “魂” の継承

2007年が目前に迫ってきた。
来年を機に、ユーザー企業のIT部門を率いてきたベテランが徐々に引退していく。
同時に、ユーザー企業のキーパーソンと強固な信頼関係を築いてきた****の営業幹部も、会社を去っていく。
営業にも、「2007年問題」が存在するのだ。
その問題の本質は、“営業魂”を継承できるかどうか。
ただし悲観することはない。世代交代は、新しい営業スタイルに移行するための絶好のチャンスなのだ。
--


ノウハウやノウフーの伝承もこれありであるが、

徒弟制度で、長年継続して、伝承していける環境でもない限り、若い人たちへ、仕事魂を継承できるかどうか・・・

これは、大変難しいことであろう。

口で、描いて説明できるものならばまだよいが、
なかなか、魂の継承は難しそうである。


やはり、OJT/そして、数々の場面で教えていくものなのでありましょうね。

ケースバイケースで変化していく、移ろいやすいことがらは、さておき、

おそらく、じっくり経験や年月に裏打ちされて醸成されてきた、この魂の継承をどのように実施していくかということこそが、もっとも困難を極めることなのであろう。

心しておきたい。

企業家、経営者としての才

とある雑誌の一文・・・・

--
経営者として成功するため、

・厳しい運動部にはいる
・不祥事で社会から糾弾されている会社だから、入社する
・誰もが難しいと考える分野ゆえに、進出する。

これら、一般的な常識では結びがたい因果関係に
そのとおり!と膝を打ち、
かつ、実行できる人には、

企業家、経営者としての才が秘められているかもしれない。

--

そうかもしれない。


そして、なによりも、

かつ、実行できる人

が重要なのかもしれない。


また、単なる賭けではなく、
自ら、なぜ、それが、うまくいくか、
また、どのように、困難をクリアしていくかを
よくよく、人よりもきちんと、深堀りしてこそ、
このことはうまくいくのであろう。

いづれにせよ、全く人と同じことをやっているようでは、だめなのであろうな。

もし、人と同じことをやるとしても、不器用な分、人よりも回数を多くこなす、
いや、二倍、十倍こなせば、ほどほどのところにはいけるであろう。

いやはや、やはり、自分は凡人であることは間違いない。笑

金曜日, 1月 12, 2007

思い込みなしに挑戦する!

2006年9月のおそらく日経ビジネスに掲載された金言といえる言葉から。


「これはやってはいけない」「そんなことはできない」といった思い込みなしに何にでも挑戦する。

米グーグル ヴィントン・サーフ氏の言葉です。


以下詳細
--
グーグルが魅力的なのは、非常に優れたビジネスモデルがあり、まだ8歳の若い会社だということです。
私と違ってみんなとても若く、「これはやってはいけない」「そんなことはできない」といった思い込みなしに何にでも挑戦する。
若いだけでなく非常に頭の切れる大勢の人間が、時速900マイルで突っ走っている感じです。
--


優秀なドクターたちが、手と足を動かしながら、そのブレインを楽しみつつも日夜すごいスピードで酷使している。
グーグルはそんなイメージです。
私の近年の人生観は、彼等の出現により、かなり変わりつつある状況です。

こちら側の一凡人として、ずっとWatchし続けたい彼方のグーグル。

マイクロソフトやヤフーとともに、また、Amazonとともに、彼等の活動とその成果を見ていきたいものです。


「これはやってはいけない」「そんなことはできない」といった思い込みなしに何にでも挑戦する。・・・
と、そこまではできずとも、いけないとかできないものを大幅に思い込みのリストから削り込み、新たな挑戦をしていくことも必要と肝に銘じておきたいものです。

最大の敵は、今の延長にある思い込みの中で生きている、自分と仲間たちなのかもしれません。

高いところに行くには、下からの積み上げが必要

これまた、少々古い情報(続き)です。
2006年1-2月のおそらく日経ビジネスに掲載された金言といえる言葉から。

高いところに行くには、下から積み上げていかなくてはなりません。

イチローの言葉です。

以下詳細
--
高い目標を成し遂げたいと思うなら、常に近い目標を持ち、できればその次の目標も持っておくことです。
それを省いて遠くに行こうとすれば、挫折感を味わうことになるでしょう。
近くの目標を定めてこそギャップは少ないし、仮に届かなければ、別のやり方でやろうと考えられる。
高いところに行くには、下から積み上げていかなくてはなりません。
--

あたりまえといえば、あたりまえすぎる話である。

なにごとも、一発大当たりということは、万分の一の賭け事の話を除けば、ありえないのであろう。

日々の努力、そして、その前には、合理的な目標設定、
着実かつ、たゆみないステップこそが、唯一頂上に近付く道であるということか。

近年では、スポーツ選手になるには、いかに幼少の頃から、競い合える仲間たちとともに、そのスポーツを猛練習するかということが、大切との論もよく聞く。

考えてみれば、音楽でもそうである。

幼少より、練習に練習を重ね、より上位のステップにのぼり、改善につぐ改善を、そして、経験につぐ経験を重ねて、プロに至るのである。

チームとしての活動は、また、別の方法論が必要としても、
個人としてのプロに至るまでの過程というものは、下から順々に、積み上げていくことが王道のようである。

凡才である自分にとっては、頭の痛い話である。

目標のぶれを直し、絞り込みつつ、ゆっくりと、しかし、着実に登り坂を走っていきたい。

木曜日, 1月 11, 2007

プラチナ・エイジ

これまた、少々古い情報です。
2006年4月のおそらく日経ビジネスに掲載された金言といえる言葉から。

人口減は怖くない。プラチナ・エイジを築け!

堺屋太一氏の言葉です。

以下詳細
--
高齢者が好きなもの、欲しいものを遠慮なく求めることで高齢者市場を広げ、より便利で快適なプラチナ・エイジを築くこと。
それが次世代の高齢者の役に立ち、この国を世界最先端の「好老文化国家」に育てる道である。
高齢者よ、我儘であれ。それが日本を発展させる道である。
--

なんとも、心強いお言葉である。

まだ、高齢者にはまったく達していない自分ではあるが、今から、この言葉を糧のひとつとして、がんばりたいものである。

とある先生のお話によれば、
現在では、老人とは、75歳以上と定義しなおしてもよいのではないかとの話もあったように記憶している。

これまた、心強い言葉である。

年をとったとか、休みたいという気持ちもでてくるわけだが、まだまだ若い。

シルバーでもなく、
ゴールド、
そして、プラチナ、

いやいや、そのうちには、ブラック・エイジを築いていきたいものである。 笑

月曜日, 1月 08, 2007

地球の抱える危機たち、そして地球温暖化

私のとあるブログ内から、

さらに、とあるブログ

に飛んでいくと、アマチュアSFとしてであるが、地球の危機たちが何点か述べられている。・・・文末に抜粋転記あり・・・


SFがかってはいるが、その中でも、もっとも本当らしく、現実的なものが、地球温暖化であろう。
このブログでもその恐怖と実態を色々と探っていきたいところである。

end





・・・アマチュアSF、地球の危機たち抜粋転記・・・以下参照

ところで、今まででてきた、次の説のうち、もっとも今後、現実に我々への悪影響がありうる話としては、どれであろうか。

A: 地球温暖化継続説による危機説
B: 地球磁場変異と磁場減少による危機説
C:フォトンベルト突入による危機説
D:地球全球凍結(アイスボール化説)による危機説
E:番外・・・地球への隕石衝突説
F:番外・・・宇宙人による地球侵略説

Tyees見解では、A→B→その他は?
Cは、いい影響かもしれず、天変地異が生じるということについては?と思っている。
Dは、NHKでも特集されたシリーズで、放映されたので、ご存じの方も多いであろう。
これは、1998年、ハーバード大教授のP.F.HOFFMANが、地球が全球凍結状態に陥ったとする「スノーボール地球仮説(Snowball Earth Hypothesis)」を復活させたことが発端のようである。彼は,原生代の地層が広く分布するナミビアのオタビ地域の地質調査により、この仮説に論拠を与え、最近では、数々の証拠がさらに見つかりつつあるようだ。
かつて、いわゆる氷河期とは全く別に、地球表面全体が厚さ1km以上の厚い氷で覆われた状態になってしまった地球全球凍結(アイスボール化説)は、まず間違い無くあったのではないかと思う。(地球が46億年前に誕生してから、22億年前と7億年前の2回ほど生じた。)
モデル計算によると、地球全球凍結のときには海の氷の厚さが平均1.4キロに達し,平均気温はマイナス40度Cまで下がるとのことである。海氷が両極域から広がり,いったん中緯度をこえてしまうと,地球全体の太陽光反射率が急増し,地球に吸収される熱量が低下する。して、これによる流入熱の減少によってさらに気温が低下し,海氷が広がり,太陽光の反射率がさらに上がる。この悪循環で、アイスボールはできあがるらしい。そして、100年後、二酸化炭素の増量により、氷解していく。
しかし、今後またこの現象がおこるとの仮説については、聞いたことがない。
但し、火山噴煙なり隕石落下による大異変、大火事などがおこり続け、日光をさえぎるものが、数パーセント増えるだけで、気温は下がるとの説もあるので要注意である。
SF映画?のデ○ ア○○ー トゥ○○ーの世界は訪れない事を祈りたい。
--
E(隕石衝突説)はありうるが、そろそろ、世界もこれについては、隕石の軌道をずらす等の対策検討を始めたようだ。まさに、SF映画アル○ゲ○ンの世界であろうか。
--
F(宇宙人地球侵略)については、ノーコメント。宇宙人は存在するとは思うが、良い宇宙人であるかもしれない。宇○戦○のような事態は想像したくない。
--
やはり怖いのは、A:地球温暖化継続と、B:地球磁場変異と磁場減少
南極の氷が一部割れて、海中に落ちつつ有るのは本当である。そして、全部がそうなると、まさしく、70m程海面はあがるらしい。
もう、既に、海岸線が縮まりつつある国もあるし、そのうち、なんらかの対策をしない限り(温暖化ストップか防波堤)海面下になる国も相当あるようである。
また、亜熱帯域が広がり、珍しい虫や生物が、日本にも南端から上陸してくる。怖いのは、伝染病なり、南方のみの奇病が、日本にはいってくることであろうか。昆虫類等の媒介の影響もあり、これらについては、無視できない内容となるかもしれない。

温暖化ストップは、真剣に取り組むべき課題であろう。
--

B:地球磁場変異と磁場減少についても本当であろう。
ここ30年間で地球の磁力の減少率が高まっているらしい。
但しいつその影響がでてくるかについては、議論のあるところであろうか。
磁力が弱くなるにつれての影響は
・磁力による方位がわからなくなり(船や飛行機は大打撃)、鳥は方向感覚を失い、オーロラがあちこちで発生し、有害な宇宙線が降り注ぐ等。
この問題については、地球温暖化対策が十分となってきた後、話題になってくるであろう。
--

しかし、日本においての最も怖いものといえば、

地震と津波と、某国からのミサイル攻撃。

そして、数年以内におきるかもしれない、某国のバブル崩壊と通貨切り上げ、国債関連の破綻、年金の破綻といったところであろうか。

--
こうなると、神頼みも含めて、フォトンベルト突入による人類の高次化を切にのぞみたくなってくる。
太陽系は、1987年以来フォトンベルトへ入っており、そして、地球も含めて太陽系は、2012年12月22日にフォトンベルトに入りっぱなしになり、通過するには、おおよそ2000年間かかるとのことである。
この間に、人類は賢くなってほしいものである。

いや、2000年も時間はないかもしれない。

新しいエネルギー源の成功無しには、後100年もたつと、全世界は、人類は縮小均衡を余儀なくされる。

すでにおこった日本の人口減少の現実

「2006年には、人口のピークを迎え、以後、2007年からは、日本の総人口は0.33%平均で低下していく。」
等ともいわれ、
昔は、2010年頃といわれていたと思うのだが、毎年ピークが前倒しになってきて、二年ほど前の時点では、「場合によっては、2004年ないし2005年が日本人口ピーク」という説もあったようである。

結果的には、
2005年10月1日現在の国勢調査結果、1億2776万人
(2000年は、1億2693万人)
2004年は、1億2778万人

ということで、2005年10月は一年前に比べて、間違いなく、減少に転じているようだ。
そして、
2005年10月は、戦後初めての人口減少であったようです。

また、住民基本台帳に基づく調査結果では、2006年三月末時点で、

1億2705万5025人であったようです。


次回、2007年3月末の数字がどうなるか。
昨年2006出生率のやや増加もあったことで、どのようになるのか、
興味深いところであるが、国勢調査と住民基本台帳の結果に乖離があることについては、留意が必要であり、同じ調査の経年変化に基づき、減少動向をウォッチすべきであろう。

しかし、2005/10時点、ないし、2006/3時点の、減少傾向を示すふたつの調査がでそろったわけで、間違いなく、日本人口は、ピークを向かえ現象に転じたことになる。


このままいくと、「953年後に最後の日本人が生まれる」との計算もあるらしい。
せいぜい、日本人の寿命は、残り1000年であるということになってしまう。。。

また、0.33%ずつの減少論でいくと、約300年後には、ゼロになってしまうというおそろしい結果。。。

しかし、世界に目を向けてみれば、まだまだ、世界の人口は増加している。

中国の一人っ子政策はかなりしっかりしているようであるので、そのうち、こちらも増加はとまってくるだろう。が、しかし、インドはまだまだ増加の一路であろう。

しかし、結果として、ゆくゆくは(おそらく今世紀中)、世界全体も、人口増加なしに、暮らしていくことを考えねばならなくなる。

人間は、増加を終えるのである。

もちろん、各国が、そして、世界が、これを予測するからには、色々な手をうつであろう。
また、予測もしない、人口増加がおこるかもしれない。

しかし、現実は、さらにきびしい。

まずは、世界規模では、戦争をなくし、温暖化防止、砂漠化防止を望みたいところである。

そして、日本では、多くなる老人?の活用、女性の活用、移民受け入れなどを考えていかねばならなくなるだろう。

明日は我が身の問題でもある。じっくりと考えていきたい。

日曜日, 1月 07, 2007

組織の存在理由とは?

「社内の活動は利益を生まない。コストである。利益は社外の活動で生まれる。」

働くことは、見方を変えればコストであるともいえる。

自らの仕事を単なるコストではなく、価値を生むものにするためには、
たとえば、お客さまにとって、価値のある仕事を直接的あるいは間接的にすることである。

「唯一、外の世界への貢献のみが、組織の存在理由である。」
ドラッカーの価値観は、非常にきびしい。。。。


常に自分の仕事が、外の世界へ貢献しているのかどうか?

プロフェッショナルたる者は、これをきびしく問う必要があろう。

日常生活においては、どうしても、日常に埋没し、どのように働くかということに傾きがちである。
しかし、外の世界へ何を貢献しているのか、この仕事はそれにどのようにつながっているのか、なんのために働くのか、といった、仕事の目的が、大本にある。

目的を失った仕事は、もともと、壮大な無駄でしかないのかもしれない。

プロフェッショナルたる者は、おそらく、
働くことの意味、目的を求め、また、外の世界に何をもって貢献するのかを、常に考えているべきなのだ。

セルフマネジメントと時間管理

成果をあげる能力は、天賦の才能というわけではない。
努力によって身に付けられるものである。

仕事においては、プロフェッショナルたるべきことが要求される。

ということで、まずは、努力して、プロフェッショナルにならねばらない。


さて、
マネジメントの要諦として、まずは、自己管理、すなわち、セルフマネジメントが重要である。

して、セルフマネジメントは、まず、「時間管理」から始まる。

仕事ができる人、プロフェッショナルは、密度の濃いディープな時間を過ごしている。
しかも、もしかすると、あなたよりも、より多くの時間を、それら重要なことに費やしているかもしれない。



ドラッカーは、時間をより有効に使う方法として、以下をあげているようだ。

「時間の使い方を記録し、時間の使い方を分析し、時間をまとめる」

「時間を記録し、分析し、まとめる。」


まずは、記録により無駄な時間を把握することが重要。
ひとつには、一か月近く、リアルタイムで時間の使い方を記録していく方法がよいらしい。

時間を無駄にする要因としては、二種類ある。
・外部から邪魔を受ける場合・・・人員過剰・システム欠陥・組織構造の欠陥など外的要因
・自分自身で無駄に使っている場合・・・仕事のやり方が非生産的・・・内的要因

外部要因としては、たとえば、会議過多症がある。
ドラッカーは、「会議をすることは、原則でなく例外であるべき」と名言を残している。

内的要因としては、
成果のあがらない仕事や、優先順位の低い仕事をしている場合、
また、他人に任せられる仕事を自分で抱え込んでしまっていこと
など。

外的要因、内的要因を分析し、時間を無駄にする要因 、成果に貢献していない時間を排除すべきであり、

そして、自らは、

・成果が上がる仕事
・自分しかできない仕事

に重点を置き、優先度の高い事項からやっていくことが、重要。


最後に、小さく短い時間をできるだけ大きくまとめて、仕事に集中する時間を長くすること。

細かく、細切れ時間を有効に使うことも重要だが、やはり重要な仕事をするには、まとまった時間が必要となる。

時間をまとめるには、いろいろな方法論があろう。
e.g.)
細かい仕事や、電話やメールの時間を、朝方と夕刻にまとめるなど。
仕事のアウトプットイメージや、段取り、マクロなスケジュールを意識し、部分部分に即集中してとりかかれるように、ブレークダウンしておくことなど。


--
すべてのマネジメントは、自分の時間管理から始まる。

自分の時間を管理できない人間は、セルフマネジメントもできないし、まして、組織のマネジメントは不可能である。

余分な仕事に謀殺される一方で、些々な事に足をすくわれがちであるが、
それでは、目的を達成し、成果をあげることは、難しい。
目的や行動の方向、優先度を常に意識しておく必要がある。

また、自分の仕事をやりっぱなしにせず、時々、方法や手順を確認し、自分の実行を成果に結びついたのか、そうではなかったのかを評価することも重要であろう。

さらにいえば、中期的には、自己を高めること、勉学を怠らないこともセルフマネジメントのうちであろう。
読書、経験、沢山の知恵者、知人をもつこと、そしてよいと思ったことは実践し、確認していくことが、やはり、自己研鑽の王道であろう。

定期的な仕事の検証が好循環を生む。
そして、改善事項、集中すべき事項、勉強すべきことを明らかにする。
このことが、長いスパンでの、仕事の優先順位、重要性をも明らかにしていくことにつながるようだ。



「成果をあげる能力は、天賦の才能というわけではない。努力によって身に付けられるものである。」

この言葉を胸に、少しずつがんばりたいものである。継続は力なり。。。

木曜日, 1月 04, 2007

国立社会保障・人口問題研究所の統計 -超老人国家への道-

日本において、少子化対策を何もしなかった場合、
100年後の人口は、半分以下の4600万人になると予測されているらしい。

高齢化も深刻で、2030年には、日本人の三人に一人が65歳以上という、超老人国家になる見込み。

日本の生産年齢人口(15-64歳)は、1995年がピーク。
2020年には、100万人減少。
2050年には、3000万人減少となる見込み。

既に過疎化が進む自治体では、人口が半減しているところもある。

そう、都心は別としても、地方、特に過疎地域では、すでに、人口半減となっているのだ。
(e.g.新潟県佐渡市など)


これに対応するひとつの策が外国人の受け入れである。

しかし、
外国人労働者の滞在は長期化して、制度と実態にギャップが大きくなりつつある。
日本の外国人受け入れはいずれ帰国することが前提で、永住者の受け入れは基本的に認めていない。

また、外国人の不法滞在は。日本で22万人ともいわれる。さらに、外国人受け入れは、犯罪の増加につながるなどの批判もあるようだが、
逆に外国人労働者は、無権利状態で過酷な労働条件下におかれたままであり、
犯罪数も、統計的には、外国人登録者数は大幅に増えている(ここ10年で65万人増加し、200万人をこえるレベルとなった。)が、あまり増加はしていない。比率的にはさがっているとの論もある。

しろうとには、どれが正しい議論なのかなかなかわからないところである。

しかし、外国人労働者を毎年10万人ずつ受け入れ、永住を認めた場合、30年目には、300万人の外国人増となり、日本としては、5兆円の収入アップ。行政サービス支出分などを減じても、3兆8000億円のプラスとなるとのことである。
これは、野村證券の試算によるもので、人口増効果により、年金・医療などの社会保障費における貢献が大きくなるため。消費税まで含めれば、もっと効果は大きくなるという。
今後ひっ迫していく年金財政上も大きい効果を出す。

ただし、いままでのように、出稼ぎ形で、たとえば、5年間で人がいれかわるとなると、30年目には、50万人の外国人増、国としてのプラスは、3兆8000億円に比べ、わずか2100億円にとどまることになる。

制度をきちんと整え、また、外国人労働者と共生できる仕組みを整えて、受け入れていくことも必要なのではないだろうか。

静岡県浜松市では、多文化共生政策が進展しているらしい。先駆者もいるわけである。

特に過疎地では、30年後、50年後の未来自身がかかっているといえるだろう。

単なる海外への仕事のアウトソーシングのみではなく、
女性のさらなる活躍とともに、外国人労働者の受け入れ、共生も、
今後の、少子高齢化、財政破綻対応策としては、必須のものになってくるだろう。

であれば、積極的、能動的に対応を進めていくべきなのでありましょう。

国が動かなければ、企業で、また、地方行政で推進していくのもよいかもしれない。

ドラッカーも昔から言っている。
「今後50年間、日本は年間35万人の移民を必要とし、労働人口の減少を防ぐためにはその倍を必要とする。」(人口問題の権威、アメリカン・エンタプライズ・インスティテュート(ワシントン)のニコラス・エーベルスタットの言葉の引用)
近々に、0.3%ずつの人口減少が始まるのであれば、まさしく、この数字は妥当であるのかもしれない。

水曜日, 1月 03, 2007

40歳で隠居!

元旦、とある新聞に、「隠居の思想と現実」という題で、浅田次郎氏が、こう書いている。

「昔の侍は十五歳で元服し、二十歳で結婚をして家督を引き継ぎ、おおむね二十年働いた後、四十歳で隠居するのを理想のライフサイクルと考えていたらしい」

人間が短命であったこともあるのであろうが、むしろ社会の要請もしくは道徳で、四十代は老人扱いされていたとのことである。

江戸や諸藩の城下には、四十代からの若隠居が反乱していて、家督を譲れば倅の仕事にも家政にも口出しをせぬのが彼等の美徳であり、そのかわりに孫を教育し若者を啓蟄し、あるいはみずから学問を積み趣味道楽を極めたという。芝居に例えれば、彼等は、陰で支える黒子に転じたのであろうとのこと。


先日、教養番組で、「骨の年齢」について、とある先生が話をされていた。
骨は、二十歳前に、ほぼ成長を完成し、30歳まではもつようにつくられているが、それ以後はあまり考えられていない。すなわち、骨からいえば、30歳以降は、「余り」or「おまけ」の人生のようなもの。

今の世の中は、職業にもよろうが、60歳前後が定年のようである。
身体には色々と不都合を抱えつつも、元気な老人たちは、あれこれと、檄をとばす。

しかし、2007年問題というものも到来し、元気な老人たちが、もしも、一斉に姿を消していく場合、若手はどのようにこれからをいきていこうとするのか。

先日、とある元気な老人の一人とお話をしていたのだが、

後継者は、30代から40代前半、このあたりから選ぶべしとの話がでた。

50代の人に後継しても、もともと、団塊の世代に続く世代であり、従来の延長はできても、改革などできはしないかもしれない。
ついては、さらに、もう一代、二代、若手層を鍛えればよいのではないかとの議論である。
場合によっては、幹部層も、40代にしてしまうというのも一考かもしれない。

さすれば、先人が、子供や孫を育てたのと同様、
老人たちは、30代後半から40代前半を、
50代は、20代後半から30代前半を、
40代は、20代前半を
育成するというのもアイデアかもしれない。

幹部層を40代にしてしまえば、50代、おそくも50代後半は隠居である。

今までの60代を老人といっていたことを、やや若返らせ、50代を隠居世代、老人たちと呼ぶことにする。
そして、上記のように、巧みを、知恵を伝承させていくことを考えれば、なにやら、うまくいくような気もする。

問題は、世代ギャップをのりこえ、世代間で話ができるかどうかである。

常日頃から、同世代や年上との会話とともに、
若い世代、あるいは子供たちとの話をできるように、自らも準備をしておく必要があろう。

20歳前後、年齢の異なる人たちとお話をするということは、ほぼ、宇宙人同士の会話に近いことかもしれない。
お互いに話をする前段としての、共通話題というのも必要なのでありましょうね。

スポーツとか趣味であれば、比較的、話はしやすい。
ただ、もう少し踏み込んだ、話し合いができるかどうか。
悩みを相談できるか、
本音で話ができるかどうか。

中国、韓国、米国と比べて、日本の親子関係は、濃密とはいえない。仮面の関係であるとのレポートもあるようだ。
子供からいえば、余計なお世話、うるさい説教にもなりうる。

若手にとっての、ご隠居は、あくまでも、静かであって欲しいものなのかもしれない。
悩みは深い。

しかし、おそらく、これからの課題山積みの未来に向けては、
若手は、老人たちの知恵を拝借すべきであり、
また、老人は、うるさくない程度に、二周り以上離れた若者に話しかけるべきであろう。

さすれば、老人?たちが、50歳後半で隠居しても、世の中はうまくいきそうな気がする。

そして、隠居は、老人ということでなく、リーダーを若手に譲ったというだけであり、世の中の発展にも寄与している。
してみると、老人という定義はあてはまらないということになりそうである。

老人は、75歳以上と定義すべきとの議論もあるようだ。

50代後半から60歳での隠居は、まだまだ若く、若手リーダーではできないような分野、困難多き分野、
たとえば、
若手への知恵の継承や、
世界の難題解決、人の為・平和につながるが未来課題への対応の自ら真に望む分野のリーダーを務めるということにすれば、
まさしく、シニアリーダーということになる。

隠居万歳である。
留まり休む隠居ではなく、歩き続ける隠居でありたいものだ。

新成人数と出生数、そして「超人口減社会」

2007年の新成人数(1986年生まれ)は、139万人とのことである。
また、2006年の出生数は、108万6000人とのことである。


新成人数よりも出生数が30万人も少ない。
これは、簡単にいうと、今後、ますます、人が減少していくだろうことを示している。

なお、
2007年の新成人数(1986年生まれ)139万人は、1987年の新成人数(1966年生まれ)136万人に次いで少ないとのことである。
また、新成人が総人口に占める割合は、1.09%で、最低とのことである(統計開始以来)。

新成人人口は、第二次ベビーブームの1973年生まれが成人に達した1994年に207万人で、総人口比は、1.66%だったが、その後、減少を続け、2006年は、143万人まで落ち込んだ。
そして、さらに、4万人減少して、139万人となっている状況。


一方、2006年の出生数108万6000人は、六年ぶりの増加である。前年比23000人増。
これに伴い、合計特殊出生率(一人の女性が一生に産むこどもの数)は、過去最低を示した去年の1.26から、1.29前後に回復する見通しとのことである。

しかし、昨年の死亡数は、109万2000人で、差し引き、6000人の人口減であることに変わりはない。

また、厚生労働省は、出生数が増えたのは例外的な現象で、2007年以後は、また、減少するとみているらしい。

年間出生数は、第二次ベビーブーム(1971-1974年、1947-1949年の団塊の世代の子供たちにあたる。)には、200万人を超えており、特に1973年には、209万人を超えていた。
現在は、その半分であり、1989-2000年には、120万人前後で推移したものの、2001年からは減少が続いている。


国立社会保障・人口問題研究所が発表した「日本の将来推計人口」の標準的な中位推計では、
5年後の2012年頃には、毎年30万人規模で人口が減りはじめる。
2035年頃には、毎年100万人規模の人口が減少する、「超人口減社会」に突入するとのことである。

100万人とは、比較的人口の少ない県の人口に相当するらしい。

恐ろしい話である。

月曜日, 1月 01, 2007

M to M

モバイルとモバイルがつながるのかと思ったら、

Machine to Machine

のことらしい。


センサー技術の発展、そして、無線ICタグ RFID などの登場、発展とともに、

オフィス、工場、お店などに存在する機器、設備などのマシンをネットワーク化して、

さまざまな情報を取得、管理できるようになるということなのであろう。

ただし、それぞれの機器、設備がつながりあうためには、それらがコミュニケートするための、
通信プロトコルの標準化がまず前提となろう。

また、より発展的には、応用分野毎の情報やデータ体系を整備し、これをコミュニケートできるように、
また、それら体系を統一するか、体系同士の変換を可能とする方法論が必要となるだろう。

一方、個人情報と同じく、もしかすると、各機器や設備のプロファイルを公開していいのかは、論点となるかもしれない。

閉じられた系の中では公開可能であろうが、世の中に出回ることは問題である。
個人情報漏洩が大問題となるように、特定機器については、その情報漏洩は、もしかすると、セキュリティ脆弱性につながるかもしれない。

また、ネット的には、その特定機器、マシンを攻撃することで、通信できなくしてしまうことも可能かもしれない。

そのうち、マシンにもマシン情報保護をなんてことになるのかもしれない。

この頃は、Webカメラがリーズナブルになってきている。

遠隔地から自動でWebカメラ監視もできるし、特定物センスに基づき、カメラの方向を制御し、拡大することもできる。
警備員型ロボットも制御できるようになりつつあるようだ。
異常時には、個人に、通報できる。

コンピュータールームでは、特定部分の温度が高くなると、そのアラームを出すこともできるし、その部分のみを冷却できるよう、空調が制御されるなんてこともできるようになりつつある。
(研究段階と昨年夏に聞いた情報。)

コンピューター処理では、異常処理やアクシデント時に、アラームを出し、夜でも担当者に連絡を自動的に行うなんてこともできる。

一般的にいえば、異常をセンサーが検知、(内容判断)、携帯やPCなどに通知するなどが、もっとも簡単なM to Mなのかもしれない。

Machine to Machineは、
G to B G to C
B to B B to C
C to C P to P
とも関係してくる。

真ん中にネットワークがあり、
M/G/B/C(P)がつながりあえるようになってくるということかもしれない。
また、RFIDは、マシンでなくても、ものにつけることもできるわけだから、
マシン、政府、企業、顧客・個人、そしてモノの情報がネットに蓄積されていくということになろう。

問題は、人に、RFID、いやIDをつけることであろうか。
これについては、人にIDを植え込むという、ラジカルな方法論から、モバイル、携帯、ウェアをID代わりにする方法もあろうし、よくSFにでてくるように、網膜なりセキュリティゲート通過時に個人IDが認識されるというやり方もあろう。
これは、個人が、いつどこで、何をしたかという情報が、ネットワークに蓄積されていくということである。

いまに、グーグルに自分の名前をいれて検索するのみでなく、
自分のIDをいれて検索すると、何時何分に、いつどこで、なにをしたという情報がわかってしまう
プライバシのない時代がくることも想定される。

便利にはなるであろうが、やや、肩の凝る時代になることもありうる。要注意である。

肝心なことは、

Mマシン/G政府/B企業/C(P)顧客・個人/もの/Rロボット/自販機・情報家電などのIDは、厳密・厳格に管理され、その実体との関係付けは、特定関係者以外は知らないような世界を構築できるかどうかであるのかもしれない。

注:ここでいうロボットは、まずは、工場のロボットなどが対象となるでありましょう。
注:実際には、遠隔地や夜間の各種処理、工場での異常検知以外にも、異常の予防検知などにも応用されつつあるとのこと。

ノート16冊vsブログ毎日 効用合戦

謹賀新年

そういえば、昨年、元気で師足る老人たちとお話をしていたら、
とある老人から言われた。

このテーマで、今年は、16冊ほどになったと。
テーマ毎に、ノートを使い分けているのであろうから、もしかすると、何十冊もノートがたまっているのかもしれない。

普通のA4のノートである。それほど厚いものであるというわけでもなく、
おそらく、一ページに、文字数でいえば、400字程度はいるのであろう。
絵も描くことができるし、ノートはやはり便利である。

思い付いた時に記述することができる。

ただ、いくら薄手で軽いとはいえ、やや大きいということは難点であろう。
しかし、慣れてしまえばどうということもないのであろう。


実は、私は、ノートはあまり使っていない。
大きな手帳は、会社用のもののみである。

携帯用は、野口先生の超整理手帳のみ。
この手帳には、近年ごく小さな、ポケットにも楽々はいる、名刺サイズよりはやや大きい、アイデアメモ帳がついており、当分、これを活用していきたいと考えている。

実は、今までは、やや大きめのポストイットをポケットのしのばせ、アイデアやメモはこれにしていた。
ポストイットは、何枚かたまると、また、グルーピングしたり、個々に超整理手帳にはりつけたりしていた。
また、不要なものは、都度捨ててきたのである。

あまり、品はよくないし、きれいでもないが、実用的であることは間違いがない。


ところで、趣味の分野で、ブログをテーマ別にいくつか書いているのだが、ノート16冊の分量とどちらが多いであろうか。

一時期は、ブログは毎日書き、8000字に達することもあった。
ただし、毎日の定型文やアフィリエイト関連も織りまぜることもある。

また、4000字程度のこともあろう。
毎日書かぬことも増えてきた。

以上を鑑みて、安全度を考慮し、毎回2000字、年間200日としよう。

して、かけ算すると、400000字となる。40万字。
400で割ると、1000ページ分。原稿用紙1000枚となる。

上記のA4ノートがもし、50ページ程度のものであるとすると、20冊分。


なんだ。老人の16冊よりも4冊も多いではないか。


ここで気付いた。
ブログをテーマ別に書くことは、もしかすると、大いに、文章を書くこと、コラボ形で、頭をひねっていることにもつながるのかもしれない。

しかも、ブログは、コメントなりがつき、いい議論をすることもできる。
また、やや不十分ではあるが、検索もできないことはない。

容量は、無限大ともいえるし、検索にも耐え、読者とのディスカッション?!も少々は可能となれば、これこそ、万能のノートともいえるかもしれない。

新年は、ブログをさらに、知的に使うことにも、応用していきたいものである。