日曜日, 3月 11, 2007

昭和20年代の頃の電力事情

H氏との会見録から

T電力に、入社当時には、コンピュータもなく、可視的な、目に見えるところでのコントロールしかできない状態であった。

水力が中心、水力を軸に、石炭火力をいかに使うかということが、電力会社の経営の命題。

現在の6000万kW出力にくらべれば、当時(昭和26年頃)は、180万kWくらい。
一戸に電灯がひとつ灯っている家庭がほとんどだったのではないだろうか。

工場のように大量に電気を使うところはあったが、商店街などでは、いかに少ない伝統で効果をあげるかという指導をした。

昭和35年には、火力発電料が水力を上回る。
復興とともに、日本産業が飛躍的発展・成長を遂げていくが、電力設備整備が、これにおいついていけるかどうか、発電所の建設が間に合うかどうかが肝。

電力需要が17パーセントも伸びた年もあった。

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昔の戦後、日本急成長の時期には、このようなことであったようだ。
昔は、一家に電球ひとつとは。
今では、いくつの電球がついているであろうか。

そういえば、インドでは、普通に、一日に、二、三回、停電がおこる。
ほとんどの貧しき家、しかも、不法にたてられた家家では、電気もきていないのであろう。
インフラ整備が、遅れているが、次第に国も力をいれだしてきているとの話を昨年聞いた。

日本は、すでに、電球の数では、豊な時代。
昔の生活水準にあともどりは、すでに困難とはいえ、

どのように、リサイクルで、省エネでやっていけるのか、
今度は、頭をひねりつつ、取り組んでいきたいものだ。

そうそう、昭和の20年の頃には、
「実際に電線に触って、電気が通っているかを確かめるという、訓練を通じて、身を以て、電気の危険性を知る」ということをやっていたそうだ。
現在は、すでに、何十もの安全策がほどこされているわけだが、
電気は、そのままでは、危険であることは、よく知っておくべきだろう。

昔から存在した「子供の科学」の付録に、科学カルタがついていて、H氏は、それを懐かしむ。
「濡れ手で伝統電灯、触ると危険」

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